MRI神話は終わった

MRI(磁器共鳴画像診断)は私が医学生の5年生のときに我が大学に導入された。そこからもう20数年になる。当時はMRIを設置するのに何億円もかかったが最近では値段もてごろになりどこの病院でも設置されるようになった。
MRIの画像は驚きの鮮明さである。内臓にある1センチの腫瘍もみつけることができる。整形外科領域であれば背骨の中を通っている脊髄や神経根の状態が非常に良く分かり、診断治療におおいに役立っている。この診断装置のすごさは、いまや患者も医者もよく知っていてMRI神話が生まれている。
MRI神話というのは私がMRIをばかにした誇張表現。 なぜなら、医者も患者もMRIから得た情報を絶対視しはじめたからだ。今日はその絶対的に優れたMRIがいかに無意味であるかについて語ることにする。
とある中年の男性患者が初診で私を訪れた。片松葉杖で足を引きずるように歩き、しかしがたいはしっかりしていて左腕にはロレックスの時計。「私は世の中の成功者」だと自慢するような装いをした患者だった。私は見た目が非常に若く、どう見ても30代なのでこういう患者はまず私を子ども扱いして話をする。
「先生、足が痛くて…ここはいいリハビリができると聞いたんで来ました」という。 病状ではなく目的から話してくる患者…。まさにビジネスマン流の会話。医者に診察してもらおうというわけでもなく、病気を判断してもらおうというでなく、自分のやりたい目的だけを最初に告げる患者。最初から「自分の病気はこの医者に治せるはずがない」と思っていることが私にはまるバレだ。別に私はこういうなまいきな患者が来てもプライドが傷つくことは一切ない。私の実力がこの初診の患者にわかるはずもないから素直に話をきく側に回る。
「実は○○医大の整形外科に行って脊椎の教授に「MRIでなんともない」って言われたんですよ。でもどう考えてもこの痛みは腰部脊柱管狭窄症の痛みなんですよね。」 おもしろい患者だ。自分の病状をインターネットで調べ上げて、すでに病名まで確信しているようだ。
この患者、頭はよさそうだが私にとってはそれが笑える。自分で答えを導き出した患者は治療に否定的になる。今の医学を、そして自分で調べた知識を絶対視するがゆえに、「教科書に載っていない治療」があることを認めることも受けることもしない。だからこんな頭でっかちの患者は救えない。
さて、今の医学を超えた教科書に載っていない治療って何?という話になる。今の医学は手術に関しては非常に研究され尽くされているが、手術しないで治療することに関してはあまりにも研究が進んでいない。私は手術しないでこのような狭窄症の患者を数多く治療し完治もさせてきたが、それらは教科書に載っていない。いや、はっきり言うと教科書には脊柱管狭窄症は進行性で内科的に何をやっても改善するという保証がない。と書かれている。
それを内科的に治すわけだから今の医学を超えている。しかし、この患者にそれを説明しても無駄かもしれない。教授が言ったこと、MRIの結果を絶対視しているのだからこれ以上前に進めない。この患者は私が質問しなくてもよくしゃべる。
「寝ていても座っていても全く痛くないんですよ。立つと痛いんです。だからこれを治すリハビリをしてください。」と言ってきた。この患者はネットかどこかの本で運動療法で治療するしかないと書かれてあるのを読んだのだろう。腰部脊柱管狭窄症は運動しても鍛えても進行を止められないというのに…。生半可な知識は災害を招く。
私はこの患者の鼻をへし折ってやりたくなった。 「まず、MRIですけどね。こんなもの全く意味がないってことを知っていますか?」 患者は私のこの発言に驚くどころか私をばかにしたような目をしはじめた。それがわかったが無視して続けた。 「いいですか? あなたは立つと痛みが出るんでしょう?MRIは立って撮影しましたか?」 「いいえ、寝て撮りましたよ。」
こんな質問をしなくてもMRIは寝て撮るということは私も知っている。立って撮影するところなどない。 「立つと痛いのなら、立った状態で撮影しなければ神経の圧迫状況がわかるはずがないと思いませんか? 寝たままで撮影したMRIに何の診断価値があると思います?」 「・・・」
この患者は反論を言わなかった。しかし納得した様子は少しもない。「この医者は何をばかなことを言ってるんだ」という顔をしていて私のいう事を理解しようとしていないようだった。私はさらにつけ加えた。
「今の医療の診断技術とはそんなものなのです。MRIでさえ立って撮らないものには意味がない。しかし、意味がないことを教授でさえ知らないのが今の医療の現状なんですよ。だからあなたがこんなに重症で痛みをかかえているのに整形外科の教授に「何ともない」って言われるんですよ。」
この患者はあっけにとられている。私のような若輩者が医療の絶対者である教授をコケにするような発言をしたのだ、変人扱いされてもやむを得ない。 「じゃあ、何で痛いんですか?」 いい質問だ。この辺はビジネスマン流の質疑応答のようだ。つっこみどころがしっかりしている。
「立つと関節同士が深く重なり合って神経の出口が狭くなり神経根を圧迫するからです」 「で、治るんですか?」 私に質問しておいて、それにしっかり回答したところでこの患者は私の話をきいていない。納得もしていないし自分の疑問だけをぶつけてくる。しかし、私はどんな患者にも全力をつくすのが主義なのでこういう頭でっかちにも最後までつきあう。
「あなたは口内炎ができたことがありますか?」 いきなり口内炎の話になりさらに不信感の目で私を見ている。 「ありますけど…」 「あれと一緒で、一度噛んでしまったところは2度3度噛んでしまって治りにくいでしょう?でも口内炎の腫れが引けば噛まなくなりますよね。それと一緒で、神経も関節に噛まれて腫れているんです。この腫れを引かすことができれば神経も噛まなくなる。それがわかりますか?」 「あ、はあ」
もちろんこの患者はわかっていない。自分の訊きたい話以外は頭に入らないようなフィルターがこの人の頭にかかっているようだ。そこで私はいきなり治療の話にシフトチェンジした。
「で、私は硬膜外ブロック注射をすることを勧めます。」 「えっ、あれ、痛いんでしょう?私にも仲間がいっぱいいていろんな仲間に聞いたんですが注射が痛くて大変だってみんな言ってましたよ。しかも注射しても治らないって言ってました。」まあ、彼の言うことは当たらずとも遠からず…
ただしこの患者は自分の症状と向き合う勇気がないらしい。この手の患者は確かにいる。頭でっかちで人の話もきかない。病気に前向きになる姿勢さえない。そこで私は真実を述べることにした。
「今なら注射で神経の腫れを引かすことができますが、長くこの状態を我慢していると神経の炎症部分が線維化して注射しても治らない状況になります。あなたのお仲間さんたちが「治らない」って言ってたのは治療を早いうちにしなかったからだと思います。」 「でも、ブロック注射はいいです。」
私は真実を述べたがこの患者はそれを真実とは受け取っていないだろう。「いいです」というのは「こんな若輩の医者に治せるはずがない」と思っているからだ。だから私の話はどれほど真実に近くても、この患者にとっては虚言でしかない。 「また、様子見てからにします。」
まあ、さすがにここまで説明して断られたらしょうがない。この患者はこの症状が出現して2ヶ月という。私は発症が3ヶ月以内、または軽い症状の神経痛症状は一回のブロック注射でことごとく完治させてきた。しかし、この患者は私を信じないのだからどうしようもない。注射は痛いというが、私の注射は痛くさせないこと、そして失敗したことがこの10年間一度もないという実績つきだ。しかしそんなことをこの患者に言おうとも聞く耳を持ってくれないだろう。
「どうしようもなくなったら注射でも何でもしてもらおうと思っています」 「わかりました」 「だがあなたがそう決心した頃に私はいない」そう頭の中でつぶやいた。私は臨時の助っ人勤務でここに来た。だから彼は二度と私とは会えない。決心がついた頃、他の医者に「ブロック注射をしてもらいたい」と言ったところでしてもらえないだろう。
ブロック注射は医者にとってリスクの高い注射である。だから画像上できっちり狭窄症の証拠がそろっていない場合や重症の痛みでない場合踏み切らないものだ。現に○○大学ではブロック注射治療をしないまま返されている。画像上の証拠をそろえようにもMRIでなんともないのだから…。
その辺を知っているからこそこの場で完治させようとした私を目の前にして去っていった。今日、一度の治療で治るかもしれないものを…この人はこの症状をあとどのくらいひきずるのやら…そして全国には腰部脊柱管狭窄症を放置されて寝たきりにまでなっている高齢者がごまんといる。この医療現場の現状を彼は知るよしもない。この男、運が悪いなあ。社会では成功しているのにもったいない。