ブラックリストに要注意

医者の世界があまりにも狭い世界であることを患者はもちろん知らない。患者は医者には敬語を使い、腹が立ってもぐっと抑えようとする。それは医者に逆らえば治療してもらえないという脅迫観念があるからだろう。
患者は医者の前では弱者を演じる。しかしそれはあくまでタテマエ。怒りっぽい患者は医者以外には無理難題を言い放ち、受付の事務員に暴言を吐くというようなことがよくある。しかし、こうした暴言は職員全体に(医者をふくめて)密かに通達されていくということを知っておいたほうがいい。
一人の患者のカルテを見ようとするとそばにいる看護師が小さな声で私に何かを伝えようとする。 「先生、この患者さんは精神科にかかっていてよく問題を起こす人です。注意してくださいね。」 「了解です」
こういう会話は問題を起こした患者の場合必ず医者に通達が行くようになっている。問題というのはいろいろある。あれしろこれしろと延々とできない注文を押し付けてきたり、診察中に激怒して暴言を吐き始めたり、治療しようと思っても体にさえさわらせなかったり…など職員を困らせる患者は少なくない。しかも精神科にかかっていて治療を受けているという情報が加わると、まともに人として扱わないという状況にもなりうる。
そういう患者にはカルテの右上にそれとなくわかる特殊なマークがつけてある。このマークは「この患者はプシコ」ということを意味している。プシコとは“頭がいかれている”ということを意味した極めて人をさげずんだ表現である。正確にはPsycho(サイコ)、精神的に…という意味だが、それをプシコと呼ぶことで隠語としている。医療界全体に通用する隠語になっている(アメリカでもそういう患者をサイコと呼び敬遠されている)。
医者も看護師も人間である。だから心が通い合わず(言葉が通じない)治療に協力しない患者を極めて毛嫌いする。そういうブラックリストの患者に対してはこちらも厚い壁を作って自分たちを防衛するという精神構えを必要とする。その心構えをしてくださいよという意味で看護師は医者に「注意してください」と喚起する。
それは当たり前のことかもしれない。しかし、彼らは確かにプシコかもしれないがそれは病を身体から取り除くことができれば普通に「話がわかる人」に戻る。彼らの病を取り除いてあげることが出来れば何の問題も起こらない。
だが、彼らの痛みや苦しみを「この患者は頭がいかれているせいで増幅されている」と医療従事者側は考えてしまうので治療はその時点でストップされることが多い。
ストップとはいっても薬を出さないわけではない。薬も副作用の少ないごく一般的な軽いものしか出さず、踏み込んだ治療をしないという意味だ。つまりブラックリストに載った患者は突っ込んだ診察も治療もされない。そしてブラックリスト情報はその病院内で永遠と語り継がれるため、その患者はよい医療が永久に受けられないという状況に陥る。
他の病院に行くにしても紹介状が必要で、その紹介状にも“プシコ”である情報が伝えられることになっている。だからどこまで行ってもまるで指名手配犯のごとく“どこでもまともに診療してもらえない”ということが起こりうる。これが医療の“悪しき申し送り”というものだ。
もちろん、遠方の病院に新たにかかるのならそういうことは起こらない。しかし、そこでも患者が問題を起こすのであればすぐにブラックリストに掲載される。
さて、頭がいかれているとされる“プシコ”患者だが、彼らは実は頭がいかれていないということを知っている医者は少ない。頭がいかれている状態が一生続くことはまれで、精神的ストレスによって症状が出たり出なかったりするのが真実であることが多い。つまりストレスをかけない状態を作ることが出来れば彼らは薬を飲まなくても一生健常な精神でいられる。
ところが“プシコ”と呼ばれる彼らは昔から人に甘えて迷惑をかけて事態を自分に有利にもっていく“ということをなりわいとして生きてきた人たちだ。”プシコ“でいることで周囲を無理やり自分の有利な状態にひきずりこむことができるという”利得“があるかぎり、精神異常と呼ばれる立場を利用して生きる。それは”プシコ“ではなく知能犯なのだが、それを区別できる診断方法などない。だから彼らの多くは甘えの延長で”プシコ“を利用してしまう。もちろんそのペナルティーとしてブラックリストに掲載されてしまうわけだ。
医者の中には自分を磨き、他の医師たちが治療できないようなものを治療できてしまう者がいる。そういう医者は“プシコ”の患者を精神異常として扱わず、普通の人間として接するという特徴がある。
理由は難しくない。彼らの苦痛を取り除く腕と自信が最初からあるので彼らが“精神異常者”に見えるのは最初だけだということを体験して知っているからだ。卓越した医者はどんな患者に対しても最善を尽くす。ブラックリストに掲載されていてもそれを無視して治療にかかる。そしてそのような姿勢で彼らと接すると、彼らはとても話がわかる患者になることをよく知っている。
そしておもしろいことに、“プシコ”の彼らは人間を見る目が非常に優れている。些細なことにも気付くから「この先生は自分のことを治療しようと本気になっている」ということをすぐに見抜く。だからプシコのライオンがおとなしい猫に変る。彼らは真剣に治療しようとがんばっている医者に対しては誰よりも従順になる。
残念なことだがそういう卓越した医者はまずいない。だからこそ彼らは医者不信を持ち、病院でわからずやと呼ばれブラックリストに載せられることになる。
私は“プシコ”患者が大好きだ。彼らを前向きにさせたときの喜びは普通の人たちを治療したときの数倍大きい。ブラックリストに載っている患者をそういう先入観で見ることを絶対にしない。彼らの苦痛に正面から向き合えば、彼らこそ人の話がわかる人に変身する。