医者より湿布のほうが効く

「先生、この患者さんは湿布だけをご希望されています。2ヶ月間一度も診察を受けていないので診察を受けてもらうことになっている患者さんです。」 そう言い渡されカルテが私の前に置かれる。
病院では診察を受けずに“薬や湿布のみ”を希望して外来に来られる患者が実は半数を占める。しかし、何の診察も受けずに長期間薬だけを出していると患者に予期せぬ副作用が起こっていても発見できないことがあるので一応診察を2ヶ月に一度は最低限受けていただくことになっている。
さて、おもしろいことに「湿布だけ」と宣言している患者が私の診察を受けると話が長くなって私を放してくれなくなるのだが… 「最近は痛みますか?」 湿布だけ…を要求している患者に私はまずこう質問する。質問している間にカルテにざっと目を通し、痛みのあるところを探る。
ちなみにこの患者は私と初顔合わせだ。患者の情報は私の頭の中ではゼロ。普通なら「変わりないのなら湿布だけ出しておきますね」のひとことで診察が終わるはずの患者だが私は出会う患者全てに全力で首をつっこみたくなる。
「やっぱりこの辺が痛みます。でも湿布すれば楽に過ごせるんです。」 患者のほうも医者にどう返答するかを心得ている。医者に迷惑をかけまいとして現状で十分に満足しているようなそぶりの返答をする。この患者は利口だ。
「では痛いところがどこか教えてください」私はそれでも患者を診察しようとする。患者は半信半疑の顔をする。 その理由は第一にこの痛みは医者には治せないことを患者は知っている。 第二にがまんできない痛みではない。 第三に痛みについて首を突っ込んでくる医者が今までいなかった。
患者はもちろん痛いから通院している。しかしこの痛みが医者の手によって治るとは信じていない。だが話を聞こうとする医者が目の前にいる。もしかして治してもらえるかもしれない…という期待感が芽生えた。だから半信半疑な顔をしている。 患者は言われたとおりに痛い部分を教えてくれた。 「ここを押すと痛いんです。あたたた。」 患者が痛がっている部分は左のわき腹に近い背中。 「ここですね。」といいその部分を私が押してみる。 「あっ、いたたたた。そこです。」と顔をしかめる。
どう診ても単なる筋肉痛にしか見えないが、しかし私はその痛みの原因が単なる筋肉痛ではないだろうと考えていた。そこで痛みがある部分とは全く異なる背骨付近を順に強く押してみることにした。
「私が押しているところで、わき腹に痛みが響く点があったら教えてください」といい患者の背骨の左脇を上の方から順番に強く指圧していく。すると 「イタっ、そこです。そこを押されると響きます」 その場所は筋肉痛を訴えている場所からなんと二十cmも離れている。普通の整形外科医ならもちろんこんな診察はしない。私は最初からこの痛みを“神経痛”だと予測し、どの神経が侵されているのか、その神経の根元を探っていたわけだ。私はそのことを患者に説明した。
「あなたが痛いと言っている場所は本当の痛みの原因部分ではないようですよ。そこに行く神経が背骨の出口で傷ついていると思います。」こう説明すると患者の顔ががらっと変化した。半信半疑だった顔が急に私を仰ぐように見つめる視線に変わったのがわかった。
その理由はわかる。長年この痛みを背負い続け、その痛みの原因を患者自身もいろいろと探り生活スタイルも変え、いろいろと自分なりに考えて努力してきた。それでも痛みがとれず、通院しても医者に相談しても流されて終わりだった。しかし、私に痛みの原因を告げられたとたんに、今まで疑問に思っていた病気の歯車が一挙にかみ合ったのだ。
私はこの状態を氷解と呼んでいる。人と人の心のわだかまりや不信感がまるで氷が溶けるように消えてなくなっていく瞬間だ。氷解が起こると患者は医者を全面的に信用し頼ってくるようになる。こうなってはじめて治療への歯車が回り始める。今までこの患者を診ていた医者は誰一人として氷解させることができなかったわけだ。
私は初対面から積極的に全力で治療することを主義として医者をしている。だからさっそくこの患者に全力で治療することを決意した。 「あなたの痛みはどうやら神経痛のようです。神経痛の場合、痛い部分に治療してもよくなりません。神経の根元である脊髄の方に治療をしないとよくならないんです。もしよかったらその治療を今日してみませんか?」とすすめてみた。
考えてみれば「湿布だけ」と訴えた患者に脊髄への注射(硬膜外ブロック)をすすめているわけで、いくら全力で治療するといってもそれはやり過ぎだろうと普通に誰もがそう考えるだろう。もちろん最初から、患者に拒否されれば無理に治療をしないつもりでいる。
注射の内容もわざと怖そうな言い回しを使う。患者の反応を見るためだ。だから“脊髄”という単語を使った。注射が簡単なものではないことも説明する。そのうえで患者はこう返答してきた。 「やります。お願いします。」 私にはこの即答ぶりから、この患者がいかに左わき腹の痛みに悩んでいたかを悟った。
「湿布がよく効く」とこの患者はそう告げていたが実はそうではない。何をやってもどうやっても治らない強い痛みで、しかもそれを医者には治せっこないと思ってあきらめたからこそ「湿布だけで結構です」と毎回告げていたのだろう。医療に不満と不信をずっと抱えていたのだと思う。
もちろん、患者は私のことを知らない。おそらく世界じゅうを探してもわき腹の筋肉痛に脊髄注射をすすめる医者は一人としていない。ペインクリニックの医者でさえ脇腹の痛みくらいなら無視するだろう。しかし私は異端児医者だ。痛みをとることを目的としていない。完治させることを目的として医者をやっている。
治療の困難な脊椎から来ている神経痛も早期に手厚い治療をすれば完治させることができる。この患者の場合病歴は長いが症状は軽いほうで、いわゆる“早期”の状態。今、硬膜外ブロックという注射をすればたった一度で完治する可能性が十分ある。それこそ長い間わずらっていたうっとうしい背中の痛みが今日行うたった一本の注射ですっかり消えてなくなるわけだ。この患者にとってみれば私との出会いはそういうラッキーだろう。
私はこの患者の潔い受診姿勢をあっぱれだと思い、さっそく腰部硬膜外ブロックという注射を行った。所要時間は三十秒。患者に苦痛を与えないのが私のやり方だ。 「はい、これで終わりです。もう痛くないでしょう?」 注射はあっという間に終わる。怖がらせる暇も与えない。 「あれ? 本当に痛くない。あら、本当だ。」
まるで魔法にでもかかったように痛みが即効で消えてしまう。しかし医療は魔法ではない。 「痛みがとれても今日一日はおとなしくしておいてください。痛くないからといって無理をすると薬が切れたときに激痛になることもあります。今日一日おとなしくしていれば明日以降もずっと痛くなくいられると思いますよ。」 患者の顔は微笑みにあふれていた。
おそらく患者は今回のこの注射で完治に近い状態になれるはずだ。症状が早期なものは手厚い治療をすれば完治する。そして私は多くの患者を一回の治療で完全回復に近い状態にしてきた。その実績と自信がこの無謀とも思える「初回から全力を尽くす」治療を可能にしている。
私のような異端児医者に出会えたこの患者はラッキーだが、私はむしろ「自分の痛みを治すためなら、脊髄近くに針を刺す注射も受けてみよう」と潔く決意する患者のほうが偉いと思っている。もし、この患者がブロック注射を拒否すれば、無理にはすすめない。注射以外の最善を尽くす。だから今日の治療は私の無謀ではなく、この患者の前向きさが生みだしたものだろう。
「そして申し訳ないけど、あなたの痛みが治ったかどうかを私は知ることができません。実は私、今日、臨時でこの病院の助っ人で来ているだけなんです。もうお会いすることはないと思いますが多分痛みはとれると思うので勘弁してくださいね。」
患者は今日はじめて出逢った異端児医者を信用し、そして今日お別れし、そしてもう永遠に会うことはない。それはたまたま当たった宝くじのように患者にとっては幸運。しかし、私は診療中、常にその幸運を全員の患者に与える。今日の病院勤務は臨時のパート。しかし、そこでもいっさい手を抜くことはしない。常に全力。それが私の生き方だから。
そして私も毎日学ぶ。「湿布だけでいい」それは「湿布がよく効く」という意味にとらえてはいけないのだということ。これほど前向きな精神の持ち主の患者でさえ、実は医療に不満をたんまり抱え込んでいる。薬だけ、湿布だけ、と告げる患者にこそ誠意を見せてあげなければならないことを学ばせてもらった。人生日々勉強。