難病を治したいなら勇気がいる

病院にはいろんな患者がやってくる。いろんなという意味では医者ほど全ての人間と関わる職業はないだろう。ホームレスも社長も、精神異常者も頭の切れる学者も、犯罪者も警察官も、赤ちゃんも老人も…全ての人の人生に関わっていくのが医者という職業。しかも関わり方が半端ではない。

そして私たちを悩ますのはそういった患者の身分や年齢ではなく、性格。やはり医者は様々な性格の持ち主と心を通わせなければ治療をすすめられない。


少しの刺激で激怒する凶暴な人とも、奇声を上げて暴れだす認知症の人とも、注射を逃げ回る怖がりの人とも、わずかなことで不安になる神経質な人ともていねいに話をしなければならない。だから正直、トラブルも起こる。


いろんな性格の中でも、もっとも困るのが「甘えている人」。医者をやっていてこれほど困る性格上の欠点は他にない。


わずかにカタコトの日本語を話す30代の女性が「膝が痛い」と言って私の診察についた。名前は寺田清美(仮名)。名前からしてどう見ても日本人なのになぜか日本語が少しカタコト。もちろん生い立ちに複雑な理由があるわけだが、医者はそこまで立ち入って訊くことはない。


まずは痛み方などの症状を訊き診察し、その特徴から病名を推測してからレントゲン照射部位を決め、写真を撮ってきてもらう。そして再度診察する。いつものパターンだ。

彼女は「膝を曲げで伸ばすときに膝の後ろが痛くなる」と訴えた。


お膝には水は溜まっていない。お皿をぐりぐり押しても痛がらない。曲げ伸ばしで外側の膝裏を痛がる。そんな症状から私はおそらく半月板が悪いのだろうと推測した。そしてレントゲン写真にも異常がなかった。それを患者に説明する。


「レントゲン写真はきれいですね。おそらく半月板が悪いのだと思いますよ。」と。しかし、彼女は全く納得していない不機嫌な表情を見せていた。

レントゲンに異常がないことを告げると、喜ぶ患者と怒る患者に分かれるものだ。喜ぶのが普通と思うだろうがそうではない。


社会に出て仕事をしていて、そしてあまり評価されていない人は痛みが出現すると「仕事で評価されないことを痛み(病気)のせいにしたい」という心理が働く傾向にある。


病院に来て「異常あり」と言われれば病気のせいにして同情してもらえるが、異常なしならますます無能扱いされて酷評されてしまう。だからレントゲンは異常なしと宣言すれば「この医者は私の痛みを診察できない無能な医者だ」と思いたくなるという心理が当然働くことになる。ま、気持ちはわかる。


医者を長年やっていると、そうした患者の反応からこの人が「社会に適応できているか?」というところまですぐにわかるようになってしまう。彼女は適応できていないのだろう。社会への不満を持っているような表情だった。


「半月板はどれなんですか?」と彼女は私に訊いて来た。説明したっておそらく理解できない。それを知っていてもていねいに説明する。私は膝の模型を取り出し

「この膝の周りにあるソケットのようなクッションが半月板ですよ。これがいたんでいるから痛みが来るのだと思います。」彼女は純粋の日本人ではないからさらに理解力がない。理解力なしでも、病状に納得していない不満を表すために質問をぶつけてくる。


「どうして痛いんですか?」こういう質問は正直困る。

「半月板が傷ついているから痛い」と説明しているのに「どうして痛いのですか?」と質問してくるわけだから、これは疑問を解消したくて質問しているのではなく、納得できないことを意思表示するための質問になっている。もちろん、こういう患者にどれほどていねいに説明しても平行線になるだろう。


この患者は何を求めて医者に来ているのか?そこを探り、欲求を満たしてあげないとこの人を納得させることは無理だろう。たいていの医者はここ止まり。敢えて彼女の人生に首を突っ込みはしない。しかし私はいつも患者を診るのではなく患者の人生を診ようとする。


彼女の人生の問題点は痛みではなく、社会での評価の低さを自分のせいだとせず、周囲が悪い、周囲のせいだとしようとする甘えであり、痛みさえも自分のせいではなく「診断できない医者のせい」にしようとしているところにおそらくあるだろう。


彼女が納得できないのは「痛みを魔法使いのように一瞬で治せない」医者に対してであり、痛みを認めてくれない周囲への恨みでもある。つまり現実と向き合わない彼女の性格が本当は一番問題になっているわけだ。ここを治さなければ彼女の医者不信は消えない。医者を、周囲を不信になることで彼女は自分のプライドを守っている。


問題は「どうして痛い?」のかではなく「どうすれば痛みがとれるのか?」である。「どうして痛い?なぜ痛い?」を追求してくる患者はほとんどが社会でいじめにあっている人で、こういう痛みと向き合わない患者の治療がもっとも困難であることはいうまでもない。


「どうすれば痛みがとれますか?」という質問ならばいくらでも答えようがあるし治療のしようもある。

「どうして痛い?」追求する人の特徴は、なんのことない、病気と向き合う勇気がないというだけの話なのである。


「どうして?」を科学的に論理的に1時間かけて説明してあげることもできるが、その説明で痛みは全くとれない。また、その説明が絶対的に正しいものではない。あくまで、痛みの原因などは現医学レベルでの推論であるのだから24時間かけて説明しても、それが正しいと歯限らないという性質のものである。もしかすると会社が悪い、会社があなたのことをこき使うから膝が痛いのだとでも言ってほしいのだろうか?


人に甘えてばかりで現実と向き合う勇気のない人を治療することがもっとも困難なことであるのは言うまでもない。彼女を治療するにはまず「現実の痛みを自分の責任で治そうとする方向へ」精神力を向かわせてやることだ。


私は何度も言うように、こういう人生逃げ腰の患者にさえ全力を初回から尽くすことを信条に生きている。

ただ、こういう患者に治療を普通にすすめてもほとんど全て断られることは知っている。痛み止めの薬を提示すれば「副作用があるからのみたくない」と言われる。理学療法に通うように言えば「時間がない」という。そして最初から最高の治療をするために“関節内注射”を提示すれば「あらゆる難癖」をつけて拒否する。つまり、彼女の目的は社会への怒りを社会に認めさせることであるからして、解決策がないのである。それでも私は最初から最高の治療である“関節内注射”を受けさせて、一回きりの治療で完治させようという意欲を持っている。こういう患者への説得にはかなりの精神的労力がいる。


なぜ精神的労力がいるかというと、彼女は責任を医者になすりつける人生を歩んでいるからだ。その意味は以降の会話でわかる。

「どうして痛いか?を考えるよりも、どうしたら治るかに話を移しますがいいですか?」

私はまずこうやって患者の逃げの口実が出ないようにしらみつぶしにつぶしていく。


「いろんな治療法がありますが、一番効果があるのは注射で治療することです。」

患者は当然痛みを伴う治療をいやがる。だが、それを我慢すれば治療効果が高いということを最初に提示するのだ。


「それで完全に治るのですか?」彼女は「治るわけがない」という不信感に満ちた顔でこういう質問をぶつけてくる。だから「完全に」というようなセリフが入る。


ちなみに前にも述べたが、この質問はたいてい医者を怒らせる。医者は治すための最善の方法を提示しているわけで、それは完治の約束ではない。もしも医者が「治りますよ」と答えれば、治らなかったときの責任を負うことになる。


「医者が治るといったのに、治らなかった」と提訴されても不思議ではない。前向きに治療しようとする医者を前に提訴の姿勢を出せば医者が怒るのも無理はない。「完全に治るんですか?」の質問には「完全に治せなかったら注射の責任をとってもらいますよ」の意味が隠されている。


だが最初から答えは決まっている。「治りますよ」と言えばそんな医者を彼女は信じない。「治るとは限らない」と言えば彼女は注射を拒否する。どちらに転んでも「完全に治るんですか?」と質問する患者が治療を受けることはまずない。さて、この質問に私はこう答える。


「私の注射で1回の治療で治る人はたくさんいますよ。病気が初期の人はその確率が高いです。だから注射の治療をもっともすすめます。」と。

「注射で痛みは一時的にとれるだけですか?」と不信感丸出しの顔で訊ねてくる。


「一時的ではなく永久です。」私はこう断言している。ただし、怪我が治った手でコンクリートを殴れば再び痛みが出現するのは当たり前。彼女のような無責任な患者は、自分が痛めつけてしまった怪我でさえ、再発ととらえ医者にその責任をなすりつけようとする。そういう意味では永久に痛みがとれる治療などあるはずもない。しかし、「永久です」と言わなければ彼女は治療を受けないだろう。だからこう付け加える。


「一旦は完全によくなります。ただ、その後に無茶をすれば痛くなることもありますよ。しかし、それは治ったものが再び傷ついたと考えます。注射治療は一時的に痛みをとるためではなく、治療のために行っています」と。


私がここまで断言するのは実際に一度の治療で治した実績を数多く持っているからだ。自分の治療に自信がある。しかし彼女は私と初めてここで会い、私を全く信じていない。治療することを宣言し、治療の責任を負うと私が発言しようとも心の中では注射を受けないことを選んでいる。


いったい彼女はここに何をしにきたのか? 痛みを治療するためではないのか? しかし、自分が痛い目にあうなら治療をしたくないという。もちろん注射は少しだけ痛い。だがその注射で痛みが高確率で嘘のように消えてなくなることを保証しているのに彼女は拒否する。このまま痛みを背負えば、注射よりも痛い痛みを何週間も背負わなければならないというのに…。


そしておそらく彼女はあることに完全に誤解している。それは注射を勧めるのはお金儲けであると勘違いしていると思われる。注射の値段設定が不当なほどに安く設定されていることを彼女が知るよしもない。おそらく私が望む料金の一桁安い。つまり9割引きくらいになっているということで、注射をすれば赤字になる。よっても受けるために注射を勧めているわけではない。


さて、ここまで患者を説得にかかった上で私は最後にこういった。

「のみ薬だけで様子を見て、自然治癒を待つのも一つの方法です。それでだめなら注射をするという選択肢もあります。ただ、早く治りたいのなら今、注射を受けていくことを強くおすすめします。病気と向き合わなければ病気は治りません。医者に全てを任せれば勝手に治るほど甘くないですよ。病気は私一人だけで治療しているわけではありません。患者様の協力も必要とするんです。そこをよく考えてくださいね。逃げたら治りませんよ。」


ここまで説明して結局彼女はのみ薬だけで様子見ることを選んだ。別に構わない。私は彼女に「のみ薬だけで治療すること」を彼女自身の意志で選ばせたのだ。それで痛みが続けば彼女の責任であり、医者を逆恨みすることもない。


次回来たときは自分の意志で注射を選ぶこともあるだろう。私は責任をとらずに逃げようとする彼女の性格を、一歩前向きにさせた。だからこの問答はすでに彼女の人生の治療になっている。

今日がダメでも次回は私の全力の治療に協力してくれることだろう。だが、実際には私のように「自分の思い通りに操れない医者」は敬遠され、二度と私の元へは来ないことが多い。それが世の中というものである。