第五話 離婚と先祖供養

私はたいそう不信心な人間でして・・・かつ若いころからお金に困っていたこともあって、母親の遺骨をそのまま家にしまいこみ、お墓を立ててあげませんでした。 私の母は私が21歳の時に胃がんでなくなりました。享年57歳でした。それ以来30年間、四角い木の箱の中に入ったままであり、最近ではそれが気にならないほどの放置状態でした。
実を言いますと、私には10年以上別居中の妻子がいまして、母の遺骨は妻子が済む家にずっと取り残されている状態でした。奥様とは10年前から事実婚でした。そんな不信心な私の診療所に、高僧と呼ばれる方が二人も通院されておりましたので、奥様は私の母の供養について「どうすればよいか?」ということを相談してくれました。
わかっている答えでしたが「できるだけ早くきちんと供養を」ということでした。不信心な私を目覚めさせるかのように日蓮宗の僧の方と、真言宗の僧の方にアドバイスを受けることができました。
さて、私の母の供養で「どうしようか?」と悩んでいる時と同時に、私はとある水素治療を研究している株式会社を2月の上旬に訪問することになります。難病治療に水素治療を取り入れたいと考えたからです。
 
  水素の社長とお酒の入った会食では、いろんな身の上話をすることになったのですが、社長はバツイチで今の妻と再婚したそうです。再婚の際、前妻と離婚することを土下座して頼み込みに行ったことなどを聞かされました。そして酔っている席ですが、私のことを「離婚しない卑怯者」とののしるのです。
私は子供たちが大学卒業するまできちんと養育し、離婚しない考えを言うと「どうも口先だけの信用ならん男だ。今すぐ離婚しないような勇気のない者とは話をしない。この人(奥様)が浮かばれないじゃないか。一ヵ月以内に離婚しないようなら君は信用できないし、君とは一緒に仕事をしない」とまで言われてしまいました。
これまで私は常に離婚を望んでいましたが「きちんと養育」することを正義だと考えて耐え忍んできました。耐え忍ぶことは自分の行いへの罰だと考えて我慢してきました。しかし、それを否定されたものですから、逆に私は「だったら我慢なんてしないで離婚!」へと舵をとることにその場で決め、社長の前で「わかりました。早速離婚します。」と宣言しました。
その思いがけない一言に奥様はびっくりして泣いてました。何もいわなくとも奥様は耐えていたんですね。が、このパターンってもしかして見えざる力に左右されたのかなあ?と、ふと。
1週間後、私は妻に離婚を宣言し、返事の期限を伝え、期限すぎても渋る妻を後にして1ヵ月後には遺骨を持ち帰りました。四角い木の箱と位牌、簡単な仏具が入れられている段ボール箱です。車のトランクに乗せ、その後に奥様を乗せ、そのまま日蓮宗の上人のお寺に持っていきました。奥様が電話ですべて段取りを済ませてくれていましたからスムーズに事が運びました。