第二話 護摩焚きで出現、トランス状態

私は奥様から尼僧の先生に触れられた時に電気が走った話を聞かされ、普通は「そんなバカな話あるわけないだろう」と笑い飛ばすかと思いきや、うんうんと即座にうなずくのでした。宗教を信じている、超常現象を信じているわけではなく、『奥様が普通でない』ことは昔から感じていたからです。普通でない話はまたいつかお話するとして、私は尼僧の先生に能力(難病を治せる能力)があるだろうことを奥様を通じて具体的に認識したわけです。奥様が生き証人ですから。
そこで私は尼僧の先生に 私:「無礼なお願いかもしれませんが、なかなか治り難い患者様を先生のところにお連れして祈祷していただくというのはいかがでしょう。もしかして治療の打開策になるかもしれませんので」 尼僧の先生:「いいですよ」 と、あっさり。
再度申し上げますが、私は科学者であり無宗教かつ無信心な人間です。しかし奥様に電気が走ったという現象はすでに科学を超えているわけで、「難病の患者が治るのであれば、方法は問わず試すべきである」と思っていましたから、このようにお願いしたわけです。
ですが、後から考えると真言宗の信者でもない患者を祈祷していただくというのは失礼なことだなあと。ですが「いいですよ」と言っていただいたので、ぜひ患者様を連れて行こうと決心しました。でもその前に、ご祈祷がどんなものであるかを体験するべきですのでまずは奥様を連れて一緒に行こうと考えました。
真言宗の信者の患者様から、1年に二回しかない盛大な八千枚の護摩焚きがあるので行きませんか?とお誘いを受けていましたので行くことにしました。真言宗では祈願を書いた木の板(護摩木)を燃やす行事があって、それが尼僧の先生のお寺で行われるとのこと。後で知ったのですが、なんとそのお寺は尼僧の先生が自分自身で5年前に建立されたものでした。
自分の力で一代でお寺を築くとは・・・この先生はただ者ではありません。ただ者ではないという逸話は後になって知ることになるのですが、今は祈祷の御利益がどんなものなのか? 患者に勧める身として知っておくことは必然でした。
朝10時ころにお寺につくと100人くらいの信者さんたちと僧侶の方々が尼僧の先生とは別に2人おられ、すでに護摩焚きが始まっていました。尼僧の先生に案内されて小さな腰掛に私と奥様は座らせていただきました。私は手の合わせ方も知らないレベルですのでもちろんお経も口ずさめません。ただ手を合わせて祈っていました。

しばらしてかまぼこの板を半分にしたような木を2枚もらい、ほどなく私と奥様はそれぞれ2枚の護摩木を渡され、そこに祈願と名前を書き、護摩木を手に持ちながら、それを護摩の火にくべる順番を待っていました。
すると私の奥様は最初、護摩木を持って小さな椅子に座っていたのに足首がガクガクと小刻みに震え始めたそうです。私はおそらく感極まって震えているのだろうと思いました。しかし震えは足から膝、膝から上肢へと震えが徐々に頭の方へのぼってゆき、やがて頭が前後に揺れるようになっていました。奥様は合わせている手までぶんぶんと前後に動いているにも関わらず必死にふるえをこらえているのがわかりました。
後で聞いたところ、最初、足がとんとんとんとゆすられるように動き出し、最初はあれ?もしかして地震かな?と思って周りを見渡したそうです。だけど、私は揺れてないし建物も揺れていないし、皆驚いた様子もないので、奥様はその時点で自分だけ揺れていることを確信したといいます。「私は大丈夫か?」なんて言葉はかけません。なにせ私の奥様は普通じゃないことはわかっていますので、何が起きてもおそらく奥様にとっての普通なのだと理解しようとしています。だって、尼僧の先生に触られて身体じゅうに電気が走るという体験をしているのですから、それよりも効果の高い祈祷をしに来ているわけですから震えるくらい当然でしょう。
護摩木を渡す順番が来たので席を立ち、僧侶に朱をつけてもらい神聖なお水をかけてもらうための列に並びます。奥様はまだ震えて足元もふらふらしてよろけていますがよろよろしながらも自分の足で歩けるようなので私はそのまま彼女につきそい様子を見ていました。
私は少し長いお箸のような棒で僧侶に水を振りかけてもらい、奥様も同じように水を振りかけてもらいます。その時彼女は顔おしかめて過剰な反応をしましたが、後で聞くと熱湯をかけられたようなビリッ!とした衝撃があったといいます。???驚かない、驚かない・・・
私と奥様は護摩木を渡し、正面のお不動様に手を合わせ、そして席に戻りました。すると奥様は前後の揺れではなく上半身が円を描くように回り始めたのです。私は後ろから肩を支え、動きを止めようとしましたが止まりません。私があたふたしていると周りの位の高そうな尼僧たち(年末の八千枚供養なので全国から高僧の僧侶が応援にかけつけていた)や尼僧がババッと奥さまの周りに集まり、彼女の背中をさすり念仏を唱え始めました。すると彼女の回転は収まってきましたが、震えはまだまだ止まりません。言葉にならない声を発し、顔は何度も天を仰ぎ号泣しています。
 
多くの信者の方々の視線が奥様に集中します。尼僧の先生は座布団の上に彼女を移動させて自らかけている袈裟をさっとかけしばらく寝かせるよう指示してくれました。私はただ震えが止まるのを待っているしかありません。ですがこれは医学で言う痙攣や発作ではなく、おそらく悪いことは起こっていないだろうと想像し、じっと待っていました。
20分くらい横になっていましたがようやく震えがおさまり、奥様は「もう大丈夫」と言って起き上がりました。炎をできるだけ長く見るように言われていたので、皆にも迷惑かけたくないのもあり、頑張って起き上がったそうです。ですがさすがに疲れ切った表情でした。彼女が初めて経験したトランス状態でした。理解を超えているので理解できません。彼女に何が起こりこのトランスが何を意味するものなのか? この時は全くわかりませんでした。
尼僧の先生は「お寺ではよくあることです」というのみで、私としては「よくある」とはどのくらいの割合で何を意味するのかを聞きたかったのですが、それは彼女が直接聞くだろうと思い、何も訊ねませんでした。それにはどうやら答えがない、いや、どうにでも考えられるというのが正しいのかもしれません(後で、お寺でよくあっても世間ではそうめったにないことであるとわかりました)。
奥様は特別な人であるということは理解したのですが、それが良いのか悪いのかわかりません。また、周囲の信者さんたちはこの一部始終を見てどう感じたのか?はわかりません。でも皆、奥さまに笑顔で話しかけます。解釈の仕方はいろいろとあるのでしょうがとても好意的なようでした。
そしてこうしたトランス状態をきっかけに、彼女には次々といろんな怪事件が起こるようになったのです。