滅びと再生

今から60億年後には太陽はスーパーノバとなり地上の温度は数百度にもなり生物が生きていくことができない地球になることが決定しています。地球も必ず死を迎えます。その真実を受け入れた時、宇宙の大いなる意志は「やがて死ぬことがわかっているのに、そこに生命を誕生させ、生きる苦しみを与えているのだろうか?」という非常にネガティブな考え方が生まれます。しかし、それがネガティブなはずがないという真実がおそらく存在します。


宇宙に沸き起こる生命をポジティブにとらえた場合、逆算できる真実が存在します。

それは限られた時間制限の中、地球を脱出して命をつなげていけるまでに進化することを宿命づけられていて、私たちはその途上にいるということです。大いなる宇宙に時間の概念はなく、もうすでに太陽系以外の星で同じような生命のバトンタッチを何度も何度も経験しているという真実があると思われます。


そうした大いなる宇宙の意志があると仮定した場合、人間一人の命を吹き消すことなどあまりにたやすく、地球に隕石をぶつけて早々に命をリセットすることも造作もないことです。


ただ、人間という生き物が、あと少しで地球外で生きられるところまで進化しているとなれば、大いなる意志はその力を少し手助けしてやろうという気にもなるでしょう。


では手助けとは具体的に何なのか? これを例えると、人間世界の癌を切除する、バグを切除する、救世主(天才や能力者)を誕生させる、能力者たちが協力しあうように縁を結ぶ、救世主の命を護るなどがあるでしょう。それらを担うのが大いなる意志にアクセスできる人間です(巫女、シャーマンなど)。


大いなる意思は万物に役割を与えます。そして厳格に逆らえない力で統制をとっています。水も海も山も全てに役割があります。統制を行っているのは波エネルギーであり、波動です。それは量子力学で言われる電子の波とおそらく性質が類似したものであると思われます。波動は大きな意思を持つこともあり、細切れになり小さな意識体となることもあります。そして波動である程度の運命が決まり、波動は時空を越えます。波動による運命を、帰ることはできますが、誰かが運命を変えれば、誰かが変える前の役割を担うことになり、全体的にはバランスが変化しないでしょう。


このような話をオカルトだと笑い飛ばすことは自由です。笑い飛ばしたところで罰も当たりません。ただただ、真実の追究者は悟るはずであり、悟っていないなら真実の追究に修行が足りないということでしょうか。


科学は常に真実よりも遅れています。遅れていることを認めることも真実の探求者の義務ですが、地位や権威に執着する科学者はそれをしません。科学者ほど頭がよいはずですが、権威を得ると今の科学で解明されていない真実があることを無視する愚か者に成り下がってしまいます。権力欲が頭をくもらせるのです。


また、私たちが考えている善と悪は大いなる意志の前では全く通用しません。悪がなければ善は前に進むこともできないからです。犠牲があってこそ全体が前に進むのは真理であり、善と悪は一体です。すなわち、救世主を誕生させるためには、極悪と呼ばれる人間の存在が必要であり、医療が発達するためには大量の殺戮兵器が発達することが必要になります。それは表裏一体であることを悟らなければなりません。


末世には救世主が誕生しますが、逆に言うと末世は救世主を誕生させるために必要な条件です。大いなる宇宙の意志が人間という生き物を地球外に脱出させるために、あと少しという段階になれば、それに助力する形で末世を呼び込む必要があるかもしれません。もちろん、その前に隕石が落ちて地上の生物が根絶やしになる可能性もあります。


その真実は非常に厳しいものですが、ネガティブではなくポジティブなものとして受け入れることで、大いなる宇宙の意志と通ずることができるかもしれません。通じたからどうなるのかと思われるかもしれません。が、通ずることで、大宇宙から見れば小さな小さなほこりよりも小さな存在が、その小さな中の重要ポストに配置される可能性があります。人間のからだで言えば皮膚の細胞にあったものが神経細胞のポジションに置かれるようなものです。持って生まれた遺伝子がとても優秀で、人間の司令塔につくはずの才能を持っている人でさえ、その遺伝子を人類の貢献に使わなかった場合、おおいなる流れに巻き込まれてくずとなる人生に降格し、逆におおいなる意志に気づいた者がその流れにのるべく人類に貢献した場合、降格された人のポジション(司令塔)につくこともあるでしょう。


どのポジションを生きたところで、大いなる意志の前では極めてちっぽけなことであり、逆にちっぽけだからこそ、大いなる意志が人の人生を救うことも殺すこともまたたやすいことです。


あらゆる生き物には大きな流れから逆らうことのできない習性が遺伝子の中にすでにインプットされています。その流れを知ることができれば、人が人生においてどのようなポジションを生きることになるのかを知ることができます。成功者には成功者の流れがあり、その流れをつかみ、道を知り、道に乗る努力をすれば、道を歩むことができます。煩悩にまみれ、欲深であると、道は見えず、他人の何倍も努力した人生を歩んでも重要ポジションから外れる運命にあります。


人は遺伝子という極めて強制力の強い「持って生まれたレール」があり、その上を走らさせられますが、大いなる意志と通ずることができれば、そのレールをわずかに軌道修正することができます。それはあたかもあみだくじのはずれくじからあたりのルートに乗り移るようなものです。あなたがあたりのルートに乗り移れば、誰かがあなたのいた外れのルートに乗ることになります。ですがそんな犠牲はおおいなる意志にとってはどうでもよい小さな小さなことなのです。私たちが自分の腕を傷つけ、赤血球が流れ落ち、赤血球細胞が3万個死滅しようが気にもならないのと同じです。死んだ赤血球細胞に哀れみも悲しみも持ちません。ですが、考えてみれば一つ一つの赤血球細胞は、あなたと同じ遺伝子を持ち、あなた自身なのです。一つの赤血球にとっては体を傷つけられて血を流されることは、津波が起こって我々が大勢死んでしまうことと同じものです。


末世を作る暴君は極悪人として歴史に刻まれますが、極悪人でさえその使命を持って生まれて来ます。役割なのです。白血球が体内の細胞の殺人者として生まれてくるのと同じです。細胞の殺戮が白血球の使命です。


ペンギンは自分の仲間を海につきおとし、あざらしに食われるか食われないを確かめてから海に飛び込み、魚を捕食します。仲間を海につきおとすペンギンは悪ですが、そのおかげで多くの同胞の命を救っています。悪でさえ役割があるのです。


役割の大筋は遺伝子に書き込まれていますが、生きる態度を変えることでその役割から外れることもできます。学校で教える道徳さえも、役割を変えるための教義です。


しかしながら「この世に人間などたやすく動かすことのできる大きな意志」が働いていることを悟ることはほとんどの人には無理です。自分の体内の細胞の意志さえ読めないのですから。道徳で教える教義を守るくらいのことでは人類を救う重要ポジションに役割変更をすることは不可能です。そこで大いなる意志と通ずることのできる人のところに大衆が押し寄せ、その教義を聞こうとします。そして世界中に様々な教団が作られます。


しかし、教祖たちは「ただ大きな意志と通じる能力がある」というだけのことで、真実を悟る知恵があるとは限りません。だから、民衆をしばしば間違った方向へ導いてしまうことがあります。そこで真実を悟る道を弘法大師が10段階で表しました。それが十住心論です。


医療行為そのものは大いなる意志の観点からは「人間の進化の過程で当然のように発達する技術」であり、人類進化の予定されている道筋です。この進化のおかげで、知恵のある者が寿命を延ばし、教義や研究を発展させることができるため、進化が加速すると思われます。


そして、人類発展の重要ポジションにつく人間は、優れた治療師と出会う縁が作られ、その縁のおかげで普通の人より少し長い寿命、少し長い研究の機会が与えられるでしょう。しかしながら、せっかく偉大な才能を持っていても、強欲な因縁に巻き込まれ、大いなる意志の流れが読めずに、間違った治療師、間違ったアドバイザーと巡り合ってしまえば、短命に終わることもあるでしょう。


どのような人生になったとしても大いなる意志にとっては「どうでもよいとるに足らないレベル」の話です。重要なことは大いなる意志があなたを救うというような小さい話ではなく、大いなる流れが見えますかという話です。流れはただただ目の前にあり、しかしそれは見えないものです。見えない流れに乗れますかという話です。


大いなる意志の存在を信じるか信じないかもどうでもよいことです。あなたの行動や生き方で人々の意志はつながり、そして集合した人々の意志も大きな流れを作ります。集合した大きな流れも、大いなる意志の一部です。その大きな流れは人に役割を作ります。その役割には短命となる人生、大失敗する人生、奴隷のように働く人生、悪の道に進む人生、国民を戦争へとかりたてる君主となる人生などがしっかり用意されています。


重要なことは私たちが「悪」と考える流れも、必要悪として存在していることです。「善・悪」は大いなる意志の世界には存在しないものであり、私たちが勝手にそう決めているだけです。しかし、善と悪は両者共に必要なものであり、どちらの流れに乗るかは大いなる流れにのみこまれながら自動的に振り分けられます(善悪を作るものは価値観であり、価値観はたやすく変化するものではありません)。それはあたかも受精卵が細胞分裂し、細胞がどの器官へと別れていくかが勝手に決まっていくかのようにです。誰にも操作できない流れがあり、その流れで細胞が分化していきます。


そして、分化した細胞には役割が与えられ、寿命も決めつけられ、長く生きたいと細胞の一つが願ったとしても、その願いがおおいなる意志(細胞の主である人間)によって救われることはありません。


このように大きな意志は容赦なく命を差別します。長く生きながらえさせる血筋か、犠牲となって絶滅させるべき血筋か、を明らかに差別します。それはほぼ生まれた時に定められており、努力とは無関係です。しかし、その命を医療は少しだけ伸ばすことができます。


医療は隠されておらず、誰にでもある程度平等に「医療を受ける機会が用意されている」からです。しかし、あなたが選んだ医療が、人生を崩壊させ、結果的に命を縮めてしまうことも多々あります。それを防ぐには真実を見る目を養う以外にありません。