難病を治そうとする者の心の在り方(医住心)

はじめに

深海に住む魚が海面近くに移動するだけでその体は崩壊し、魚は陸に上がればすぐに干からびて体は崩壊し、ペンギンが熱帯地方に住めば体は崩壊し、マグロは泳いでいなければ病気になり、鳥は横になって眠ると病気になり、人間は手を使って四つん這いのまま生きることを強いられれば骨格が崩れて病気になりやすいでしょう。
このように生き物は「生活様式に宿命を帯びた遺伝子」をもち、その遺伝子に厳しい制約を受けながら生活を送っています。
遺伝子の制約は個体ごとに異なり、ある者は激しいスポーツを行っても全く壊れない骨格を持ち、ある者は普通に歩いて暮らしているだけで関節が変形し崩壊していきます。人それぞれが異なる遺伝子上の制約を持っているのですが、他の人々と同じ生活をすることを望むがあまり、制約があることを無視し、体から発せられている警報(痛みなどの不調)を無視することにより様々な病気をひき起こします。元を正せば、自分に与えられている遺伝子の宿命を受け入れないために肉体からの報いを受けてしまうわけですが、その報いを薬でごまかし、制約を無視し続けることで引き返すことのできない難病地獄に落ちていく場合があります。こうした難病地獄から引き戻す最善の策は遺伝子上の制約に従って生きることです。それは他の健康な者たちと異なる人生を送ることを意味し、人間として生まれてきたことを悔やむほど屈辱的で自尊心が傷つくかもしれません。
しかし、そこに新しい価値観を見いだし、他と異なる自分を見つけ出し生きることができれば、健康を保ちながら幸せに生きていくことができます。今の病気が難病であればあるほど、心の在り方が問われることになります。他人の健康をうらやみ、自分の体を憎み、生き地獄に落ちて行くか、他とは異なる自分の価値観を見いだして健康に幸せに生きるか、その分かれ目が出現します。
残念なことに年齢を重ねるほどにその分かれ目に立たされる機会が多くなります。すなわち、心の在り方を問われる場面に歳を追うごとに遭遇することが先進国の国民の宿命です。逆に言うと、種々の病気は「実は己が作りだしている」という真実を受け入れることで病を回避することができます。しかし、それには心の在り方が問題になります。
幸運なことに今生きている環境に自分が持って生まれた遺伝子がとても似合っている方はどんなに体をぞんざいに扱おうとも肉体はなかなか壊れません。不幸なことに生まれた時代・環境・場所と遺伝子が似合っていない場合、生きる試練を課せられるでしょう。しかし、そこにはあなたにしかない価値観が生まれ、その価値観をまっとうすることで悔いを残さない人生を送ることができます。健康であっても悪事を働き、人の悪口をいい、嫉妬心にかられた悔いを残す人生を送る人もいます。
難病を治すには心の在り方が極めて重要です。西洋医学ではそうした「一人ひとりの心の在り方」を全く無視して画一的に治療するがゆえに、大きなリスクに患者を飛び込ませ、そして生き地獄に落としてしまうことがしばしばあります。密医学では心の在り方に治療の重きを置き、肉体の生き地獄から真に救い出す方法を模索します。

病気は「縛り修行」

病気は24時間絶え間なくあなたに課せられた試練です。糖尿病の人は炭水化物制限という縛り、不眠症の人は「くよくよして不安におびえずネガティブな感情に支配されないようにしなさい」という縛り。その縛りを破ると苦痛を与えられるという試練です。そうした病気に縛りを受けることは修行僧の毎日の修練よりも厳しいものとなるでしょう。その試練から逃げない覚悟ができたときに心が一歩進み病気を克服するための土台が出来上がります。

医学十住心

日本が世界に誇る哲学者・超能力者・空海は「秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)」に仏門を目指す人間の多様な価値観や心の在り方を示しました。密医学では健康に対する心の在り方が極めて重要ですので空海の十住心論(十段階の心の流動性)をお借りして健康に対する心の在り方を考えます(宗派の違いにより「読むのも不快」という方はご遠慮ください)。空海は真言宗の開祖者ですが密医学が宗教に依存しているわけではありません。あくまで空海の理論に基づいて医の心を示したものです。

第一医住心 本能のままに生きる心

凡人は名誉や評判にとらわれ、これを守るために自分の限界を越えて働き、試合で勝ちたいがために体力をわきまえないで練習をし、体が悲鳴を上げているのに「それを無視することが立派で強い人間である」と信じて疑わず、軽率に自分の体を壊していきます。地位や名誉や収入を短期間で上げることに執着し、自分の体を酷使します。
人それぞれ、遺伝子に決められた分があり、分をわきまえずに短期間で結果を出そうとして体に負担をかけ、後戻りができないほどのダメージを体に作ってしまいます。
遊びたいがために睡眠時間を削り、お金が欲しいためにリスクの高い仕事をし、それを誤魔化すために毒となる薬を飲みます。こうして自業自得の病気を作り、病院へ行き、「こんな病気も治せないのか!」と医師に暴言を吐きます。そして瞬時に治せない場合は医師に対して誹謗中傷します。必死になって治そうと手を差し伸べる者にさえ「すぐに治らないこと」に不平不満をいい、治療者の「治して差し上げよう」とする心をくじきます。
「休養をとりなさい」という肉体からの忠告に怒り、真の原因が自分にあることを諭されると諭した治療者に激しい憎悪の念を抱き治療者を傷つけることを全力で画策します。
常に「自分にとってもっとも楽」な治療法を選びますので「これを飲めば治る」「1日1分で治る」などという誇大広告に惑わされ続け、そして気づくとお金を莫大に消費し、本当に治さなければならない治療にお金をかけることができなくなって意気消沈します。
素早く治ることを強欲に懇願し、治療者に精神的な圧力をかけるあまり、治療者は薬の量を増やしたり、奥の手の薬を使ったり、危険であっても効果を優先させた治療を行います。
そのため予期せぬ副作用や事故が起こります。症状が悪化するとすぐさま裁判を起こします。治療をせかして圧力をかけた因果であることを認めることはなく、その責任を全て治療者側になすりつけて脅し、慰謝料を請求します。
世の中はあなたからお金を巻き上げるために「脂っこくて、濃い味で、色華やかで、いい香りがし、珍しい組み合わせの食材で好奇心をくすぐる」食品であなたを誘惑します。その誘惑に誘われるままに食べ、そして楽しくない現実社会を紛らわせるために食欲を満たすことで代償させ、栄養過多となり肥満や成人病をわずらいます。
まことにこうした欲望や邪心を捨て去らなければ、慢性的な病気を治すことはできません。このような修羅場に住む人々の心を第一医住心といいます。修羅場の現実から目を背けないことでこの第1医住心から解脱できます。

第二医住心 人の道に目覚めて道徳に従って生きる

自由奔放で欲望まみれで邪心を抑えずに生きていた者が大きな病気に遭遇し「健康を害したのは自分のせいである」ことに気づき悔い改めます。
肉や魚など動物を殺生して得る食べ物はなるべく控え、節食することで食べ物を無駄に捨てることをやめ1日に必要なカロリーだけをとろうと考えます。
自分の健康上の弱点を知り、他人に言われたままの健康法を試すのではなく、自分に合った自分独自の健康法でしか自分を守れないことを知ります。
仕事で無理をして評判を上げることよりも、コツコツまじめに働いて健康を害さない範囲で仕事をこなし、健康の価値がわかるようになります。価値観の変化です。雇い主との価値観の相違があれば職を変える勇気も持ちます。
治療をしてくれる者に敬意と感謝の意を持つようになり、少しでも軽快した場合は「先生のおかげです」とお礼の言葉をいえるようになります。自分の遺伝的な弱さを知ろうとし、病気のせいではなく自分のせいであると自覚できるようになり、それを治すためにいろいろと治療法を勉強するために書物を読みあさるようになります。
なかなかよくならない場合はその原因がどこにあるのかを考えて改めようと行動を起こします。また、治った後は予防に努めようとします。
医師に言われたことを盲信的に信じるのではなく、自分の体の特殊性を考え治療の微調整を自分の責任において行います。そのためにも多くの書物文献を読み勉強します。常に多くの知識人の意見に目を通し、最終的には自己責任で治療を選択して行きます。
西洋医学で定められているガイドライン以外の治療法を試してくれた先生には感謝してもしきれません。そのような感謝の気持ちを強く持ちます。
自分の責任において治療法を選択していくことは「医師を信じる心」から外れているのではないかと考える方も多いでしょう。そうではありません。担当医をその地位や名声で盲信することは非常に危険です。信じるべきなのは自分の病気のことを調べ、自分の遺伝子的な弱点も知り、その上で担当医の行おうとしていることをよく調べ、そうした労力をおしまずかける自分の力を信じなければなりません。その上で担当医を信じるのであれば、そこは最後まで信じて任せきるのも一つの方法です。
同じような病気で苦しむ患者に対して、治療の選択材料を提供して差し上げます。しかしながら治療のおしつけは相手への迷惑となることも悟ります。万一、聞く耳がある患者に出会えば、自分の経験に由来するもっともよいと思われた治療法を教えてあげます。
しかしながら、この第二医住心に住む者は依然として目に見えるものしか見えていません。真実を見抜く眼力はついていません。一人の治療者を師と仰ぎ、信じきる力もありません。ですからどれほど医について学んでも真の治療者と出会えるかどうかは運任せにならざるを得ないのです。これが第二医住心に住む者の限界です。

第三医住心 凡人が神や天を仰ぐ心

信じる者は救われると言いますが、医療は「誰を」「何を」信じるかによって生き地獄となるか天国となるか、人生が極めて大きく変化してしまいます。その影響力は「寿命の伸び縮み」はさることながら「まさに痛み地獄を現世で味わい自殺選びたくなる」ほどに激しい場合や「一生車イスの生活を強いられる」「植物人間になったまま器械につながれる」ことになる場合や、「本当は死ぬはずだった命が救われる」ことまで、影響力があまりにも大きいものです。
ですから医ほど時・運・縁の要素が強いものはありません。現在は、医に関する情報があまりにも多く、しかも嘘や誇大広告まみれになっていて、何を信じればよいのかが全く読めない時代になっています。ですから、人生を救うことになる真の医と出会えるかどうかは「真実を見抜く眼力があるかどうか」にかかってきてしまいます。
「信じる者は救われる」以前に「真実を求めようとする心があるかどうか」で人生が変わります。凡人は真実を見抜けないがために、どれほど精神を修業し、どれほど欲を抑え、どれほど善行を行い、どれほど神を敬っても、「真に自分を救える医」に出会えません。
人は安心を強く欲しがるがゆえに自分の「真実を追究する目」を養う修行をするのではなく、ただただ目の前にある偶然で得た超自然的な力を妄信的に信じるという心の弱さを持っています。その弱さを克服していない人が「信じる力」をどれほど神の前で示しても、神は(神がいたとしても)救ってあげることができません。そもそも信じているものが「誰かが作った罠」であることが多いからです。「罠」の中には「奇蹟を起こせる能力がある者」が実在していることが多く、神がかりなことを目の前でおこすので凡人は一瞬でその「罠」にはまります。凡人は「神ではなく悪魔でさえも奇蹟を起こせる」ということを考えず、能力そのものを善と考えてしまいがちです。またマスコミは「神の手を持つ医師」を取り上げ、神がかりと言えるほど高度な医療技術を誇大広告しています。
しかし、その卓越した医療技術に出会えるか出会えないかの前に、「その技術をこの病気に用いるべきか用いるべきではないのか」の根本が間違っていれば意味がないということに気づきません。適用が間違えば神がかりな技術でさえ無となります。
西洋医学の診断力をもってすれば「診断が間違っているはずがない」と凡人はそう思います。それは西洋医学への盲信であり、盲信の中にいる者を私たちは救ってさしあげる機会がありません。
真に治せる医療技術は目の前にあります。なぜならば真に治せる者は病気に苦しんでいる者の目に触れるところに常にいようとしているはずだからです。しかし、凡人にはその存在が見えません。なぜなら真に治せる技術は、西洋医学の権威を落とし、製薬会社の株価を落とし、国家の安定をもゆるがす原因になりうるため見えないように画策されるのが常だからです。強欲な者たちによって真の医療技術は世間には出ないようにされることはいつの世も過去も未来も当たり前のことです。ですから真に治せる者が手を差し延ばしているのですが、真実が見えていない凡人はその手を振り払ってしまいます。盲信は全く何も信じない者よりもさらに軌道修正ができません。選んでいる医療が「地獄への片道切符」であることが見えていても、盲信している者を救い出すことはできないのです。結局、盲信は罪深いという真実に突き当たるわけです。善を行う力、修行をたやさない精神力、法や秩序を守る態度、そして信じる力、などが兼ね揃っていても、信じたものが真実ではない場合、報われることがありません。第三医住心を持つ者は信じる心を持つことができるのですが、何を信じるかの選択を誤るという限界があります。

第四医住心 一切の煩悩を断じる(ここからは一般人向きではありません)

煩悩を滅して聖者に近づこうとする思想を持ち、戒律を厳しく守る人々の心が第四です。 病の世界は煩悩を滅する以前に、煩悩が病によって食い尽くされてしまう世界です。食欲も性欲も出世欲も、独占欲も欲という欲が病によって奪われます。聖者になろうとする者にとって病気になることは大歓迎でしょうか。また、「病気の究極最終形の死」は全ての煩悩を消去するものですから大歓迎でしょうか。そうではないでしょう。煩悩が元気いっぱいの健常な肉体の時にそれを滅するという苦行に価値があるわけです。よって一切の煩悩を断じる修行をしたいのであれば、その者は健康状態を保つ努力をしなければなりません。よって死を迎えるその時まで価値ある修行を行い続けるためには健康を保っておく義務が生じます。万一、脳梗塞や認知症になってしまえばこれまで行ってきた行が水の泡になってしまいます。
よって聖者を目指して生きるのなら、健康でいること、病気を克服すること、を欲することは「決して煩悩にとらわれているわけではない」ことになります。聖者になろうとする欲があるからこそ煩悩を滅するわけであり、それと同様に煩悩を滅する修行を続けるために健康を求める欲が必要になります。
しかしながら医の力により、不健康の状態のまま延命だけずるずるとさせられると、晩年は修業はおろか人として節度のある生活さえ送れなくなってしまいます。ほぼ全ての医は「人の尊厳」を考慮することなく延命を正義と考え、正義を押し付けます。そしてあなたの志を打ち砕きます。そのみじめな姿を嫌うがゆえに死期を悟ると断食を選ぶ方もおられます。
真の聖者となることができれば、六つの神通力、三つの超能力で人々を救うことができると言われ、医など必要もなく健康を考えるまでもないでしょう。しかし、そのような聖者はめったに現れませんから、聖者を目指した者のほとんどは聖者になることができないという真実に突き当たります。しかし聖者を目指す自由は奪われません。どなたも聖者を目指して修行してよいでしょう。晩年まで修行ができるようにするために医を欲することを恥じる必要はありません。
医を選ぶ権利、医を拒絶する権利、死を選ぶ権利が人それぞれにあります。間違った選択をすれば晩年は志を貫くことのできない世界で暮らすことになり、事実、ほとんどの方がそのようになります。私たちはあなたが超高齢になっても境地に立っていられるように手を差しのばします。どうか医を欲すること恥じないでください。一切の煩悩を断じようとする者の限界はまさに健康にあります。

第五医住心 十二の因縁をその根本まで抜き去り迷いをなくす

長い間の修業をし、自身を灰にしてとことん清らかさを求めて悟り、極めて静寂な心境を得て、この世を超越した存在と感じます。そして死の時が来るのを待ちます。それらを自力で行うため、悟るまでに無限に近い難行苦行が待ちます。
しかしながら静かに死を待つことが現代においてはどれほど難しいことでしょう。難行苦行を永遠に続けるためには「極めて健全な肉体」が必要であり、健全とは言えない遺伝子を持って生まれた人は修行さえできません。また、修行に耐えられない遺伝子を持ってうまれたにもかかわらず、西洋医学の力により「何事もなかったかのように育てられた人(健康ではないが健康そうに見える肉体)」の場合、修行により肉体がたやすく壊れます。よって、現代においては第五住心を目指して生きようとして肉体を壊して脱落してしまう人の割合が、仏教が全盛期であった時代よりも多く存在するのではないでしょうか。
そして、当然ながら現世の肉体には執着していないでしょうから、死や肉体が壊れることに恐怖心も少なく、命や健康に対して執着心も少ないでしょう。これが若い間ならば問題はありませんが、人生半ばを過ぎると健康を維持しながら修行を行うことは困難で、長い長い修行は途中で挫折してしまいます。もちろん、そうなる前に神通力が備わるところにまで至ることができれば、健康さえも操作できるかもしれません。
医に頼り健康を欲することは執着ですが、執着を嫌い、肉体に無知を打つ修行を始めれば、奇蹟的に頑丈なまれな遺伝子を持っている者以外は肉体を壊してしまい志を貫くことができません。肉体に執着するのではなく、修行に執着するために医を欲していただきたいのです。執着を無にすることが目標であると存じますが、それを達成するまでに最小限、健康に対する執着を心得ていただくことを望みます。第五医住心に住む者の限界は「健康は厳しい修行をしていれば自然に得られるものであると」考えてしまうところです。

第六医住心 縁のない多くの人々にまで慈悲を施す

ここでは医の在り方が問われます。真実の医はそれが薬であれ祈祷であれ手術であれ超能力であれ、西洋医学をはるかに超えた奇蹟的な治療を可能にします。末期癌を治してしまうこと、失明した人を見えるようにすることなど、「あり得ない改善」が実際に起こります。
それは経験した人にしか理解できないことですので、多くの方々には理解も想像もつきません。しかし、人を救うことのできる奇蹟的な医は確かに存在するという真実は変え難いものです。
さて、そうした技術を会得した治療師の多くはそれを世に広めることをたいていしません。自分だけが(少数だけが)その技術を会得していますから、その技術は神がかりだと言われ、高い価値として扱われ、弟子も少数持ち、独占企業として潤うでしょう。どうせ世間には理解できるはずもなく、秘密にしておいた方が価値が上がり、高額な治療費(お布施)も頂戴できます。
そして、神通力に近いそうした治療能力は、治療師が死ぬと伴にこの世から失われます。一人の治療師がいかに優れた神通力を持っていたとしても、その一人が治せる患者には限りがあります。だから真に優れた治療師は「縁のある者だけを救うことしかできない」と言い切って縁のない者を切り捨てます。
第六医住心では「縁のない者にまで慈悲を施す」わけですから、そのためには神通力に匹敵するその能力を世に広める努力が必要になります。つまり弟子を多くとり自分の治療技術を広めることです。
科学を超越した治療技術を伝授することはとても難しいことであり、100人に伝授してもたった一人にしか伝わらないかもしれません。しかし1万人に伝授すれば100人に伝授できます。
弟子を多く持ち、特殊な治療技術を広く普及させることができれば、多くの協力者が現れ、弟子がさらに多くの患者を治療していきます。結局、普及活動こそが縁のない者まで救うという利他行動になります。敵視していた同業者までもが集い、そこにはさらなる医の進歩が見込めます。それはなんと素晴らしい世界でしょう。 第六医住心に治療者たちが住むことができれば、医療は急速に進歩するでしょう。

第七医住心 中道に立ち誤った見方を絶ちきって空を感じる

医には優劣という考え方があります。生まれ持った遺伝子の優劣です。家族性高脂血症の遺伝子に悩む人は、現代では劣の遺伝子ですが、飢餓の原始時代では栄養を効率的に消費できる(少ない脂肪摂取量で適正な血中中性脂肪を保つことができる)極めて有利な遺伝子であったと思われます。このように遺伝子は生まれる時代、気温、風土などの条件で有利か不利かが相対的に変化するものです。持って生まれた遺伝子は確かに一長一短はありますが優でもなく劣でもないという考え方がここにあります。
重要なことは自分に与えられた遺伝子を客観的に見つめ、「他人と同じではない自分の遺伝子に見合った暮らしを送ること」です。障害を持って生まれる遺伝子、免疫系統が異常に過敏な遺伝子、骨格が弱い遺伝子、そして不運な事故による障害・・・各々が各々の制約を受けます。その制約を無視し、他の平均的な人々と同じ生活をすることに執着するがゆえに大きな病気が生まれます。病気は与えられた自分の遺伝子と環境の真実を客観的に見つめないことから始まります。
心を容れる器が肉体ですが、肉体と心は同一でもあり心だけを肉体から切り離すことはできません。しかしながら肉体が悲鳴を上げているにも関わらず、肉体からの声を無視し、心だけを自由にしようと無理をすると最終的に肉体が病魔に侵され、そして心もむしばまれます。肉体をぞんざいに扱って心だけ空にすることは許されません。
逆に言うと自分の遺伝子の特徴を真実の目を持って客観的に見ることができれば病気の形・治り方・治し方は一人として同じものはなく、基本的には「個の中に個を治す力が宿っていること」に気づきます。
真の医療者は個の「治そうとする力」を引き出すことに全力を尽くし、悪いところを切除するという西洋医学的な考え方をしません。よって客観的に自分の遺伝子を見ることができるようになれば、真の医療者を見つけることができるようになり、正しい医療の選択ができるようになるでしょう。
自分の遺伝子を客観的に見ることができ、遺伝子の制約が何であるかを理解できれば大きな病気に陥ることはほとんどなく、うまれつきの難病や事故での障害でさえうまく付き合うことができるでしょう。技術習得・教義を守る・修行・悟りも持って生まれた肉体の制約の中で得ることに意味がるのですから。第七医住心に住む者は自分の遺伝子を客観的に見つめることができるので、大きな病気に陥ることがほとんどありません。

第八医住心 すべての現象は一つにまとめられる

人の心と肉体はしばし意見が合わずに対立します。100mを9秒台で走ろうと毎日極めて厳しいトレーニングしているにもかかわらず、骨膜が炎症を起こして肉体が悲鳴を上げるかのように。
考えてみれば人の体は37兆個の細胞の集団であり、その細胞一つ一つに小さな心があり生きようとする意思があります。第七医住心の考えを持つ人は細胞一つ一つに小さな心があることを知ります。そして細胞は個々に必死に生きようとし、そして生きようとする細胞を殺して回る細胞(白血球やリンパ球)も存在することを知ります。それぞれが個々の役割を持ち、必死に生きていますが、その個々の細胞は寿命も地位もそれぞれ異なり、明らかに神経細胞は優先順位が高く、寿命も長く、そして他の細胞の死を犠牲にしても生き残るように仕組まれています。それら細胞たちはまるで一つの国の国民であり、兵隊であり・ギャングであり・テロリストであり・政治家であるのです。そういう個々の使命を帯びて生まれ来る細胞が37兆個集まって人体を成し、そして37兆を命令する者として脳(こころ)があります。こころは国王の座についていますが、国王は国民からの訴えを無視することはできません。国民の中にはテロリストも反政府集団もいますから、それらを無視すればこころは民衆から攻撃を受けます。それが痛みや苦しみというものです。
国民は国王がいなければ生きられず、国王も国民がいなければ生き続けることも子孫を残すこともできません。しかし、国民にとって国王の命令はしばしば悪政となることがあります。悪政がひどくなると病気が起こり、その場にいる多くの国民が死に、そして死にゆく国民が一致団結し国王に訴えを起こします。それが苦痛という信号です。
国王はその訴えを無視することもできます。しかし、無視すればさらに国民が多数死んでゆき、やがて国王も死を迎えます。国政の破綻です。
ここでは一つ一つの細胞には心がしっかりと存在し、私たちの脳は小さな心の総意であり、私たちが普段こころと呼ぶものは小さな細胞たちの心と全く同一のものであることを理解します。
時に国王は暴挙・悪政を行い国民を苦しめますが、それはすなわち国王自身を苦しめているということを理解します。 こころに静寂を生むためには大多数の国民(細胞)たちに平和と安定をもたらさなければなりません。しかしながら国民たちはこころのレベルがとても低く、果てのない快楽を要求してきます。それを煩悩と言います。その要求も聞き入れつつ、強欲な者を制し、国民が納得の行く政治をすることでこころに静寂が訪れます。
一方、あなた(国王)の棲む現世では、雨が降り、気候が変化し、衣食住も変わり・・・環境がめまぐるしく変わります。国王もまた現世では誰かに命令され、悪政に苦しめられ、天変地異に悩まされます。しかしながら、あなた(国王)をとりまく環境でさえ心を持ち、それらも全てが一つの現象としてまとまっているものであることを理解します。
時に同意し、時に助け合い、時に憎しみあい、時に殺し合う者同士、時に地震や火山の噴火があり、それらすべての起源が同じであることを悟ります。
私たちの体の中の細胞には個々に意志(こころ)があり宇宙があり、大きな流れがあり、利己的に生きようとしてもそれが下手なあがきであることを知ります。それを知ったときに、細胞という国民の一人ひとりの意見に耳を傾け、そして県をまとめる知事の意見に耳を傾け、時に小を殺して大を生かすというやむを得ない英断を下しながら生きていることを知ります。
医はあなたの体の中の国政の改心・改革であり、痛みや犠牲が伴うことも知ります。しかし、細胞たちの暴挙があるとしても、細胞たちも心を持ち、その心の本質はあなた(国王)の本質と少しも違いがないことを理解します。病(暴動を起こす国民)を憎むのではなく、国政の在り方を考えます。第八医住心に住む者は細胞の心も、あなたの心も、国の心も、地球の心も、太陽系の心も皆変わりないことを知り、健康と言われる中に宇宙を見いだすことができ、その全てをおもいやることができます。

第九医住心 細胞の心と人の心は同じものである

37兆と言われる体の細胞はそれぞれが精いっぱい生きようとしています。それはゾウリムシやミドリムシなどの単細胞生物が生きているのと全く変わりません。しかしながら誰もゾウリムシやミドリムシの心を知ることはできません。知ることはできなくても細胞には「生きようとする意志」があることを感じます。その意志は私たちの心が持つ意志と起源が同じであり、少しの変わりもないことを知るのは第八の段階です。変わりがなくても理解はできません。なぜなら細胞は利己的であり利他的であり暴挙を犯すかと思えば手をとりあい、また白血球は他の細胞を壊すテロリストです。不思議なことはそれらの細胞の全てが同じ遺伝子を持っているところです。
同じ遺伝子を持つ対等であるべき細胞なのに、腸上皮細胞は24時間、赤血球細胞の寿命は3週間で、神経細胞の寿命は500年であったりします。白血球は少しでも不具合の出た細胞に対しては寿命が来ないうちから殺して食べてしまいます。しかも、体のほとんどの細胞が生まれて1か月以内の新生児です。高齢者の細胞でさえ生まれたばかりの新生児なのです。
長く生きる細胞も、白血球に殺される細胞も、全て同じ遺伝子を持ち、平等なはずなのに、その扱われ方は奴隷と国王のような差別があります。しかしそれらの細胞には生きようとする意志があり、心があります。私たちはその心を理解しようとしません。そのために医療は間違った方向に進みやすいのです。
細胞があり、それらが協力し合って組織があり、組織が集まって器官になり、器官が集まって人になり、人が集まって村ができ、村が集まって国ができ、国があつまって地球ができ、地球が集まって太陽系ができ、銀河系、さらに広大な宇宙があり、それら一つ一つの心は全て一つの宇宙の意思としてまとまっていることはわかっても、私たちには細胞の心さえ理解することは難しいのです。つまり、自分の心さえ理解しがたいということがわかります。
ただ、理解しがたいことはわかっていても、細胞には不平等があり、殺される細胞がいて、殺す細胞がいて、協力も行い、命令され、反逆も行い・・・と、まさに一つの国家の中で起こるような事件が、人の体の中で毎日起こっていることだけは理解できます。殺し専門の白血球は悪役と思うかもしれませんが、悪役がいなければ体は死にかけの高齢細胞であふれかえりそして人の寿命もすぐに来てしまいます。
白血球という悪役細胞も心を持ち、そしてしばしば暴走して大きな炎症を起こしますが、それは必要悪なのです。同様に私たち人間の世界にも悪役がいますが、悪役なくして善は生きることができません。悪役の心は悪に満ちているのでしょうか? 白血球の心はどうなのでしょうか? 心の真理は読めないものの全てがまとまった一つの心のようなものを持っていることを理解することが悟りです。
このようにミクロのものから大宇宙のマクロまで、森羅万象が仕組まれていることを知ります。目には見えない歯車が回っています。しかし、その歯車は時に悪循環や淀みをもたらします。悪循環や淀みを絶ちきるために、そもそも寿命というものが設定されていること、また私たちも病気の悪循環を断ち切るために薬を使い、時に臓器を切除し、大ナタを振るいます。しかし、その大ナタ振るいが良い結果を招くかどうかは細胞の心、病気の心を理解しようとするかにかかっています。しかしながら第九医住心では細胞の心、人の心、社会の心、国の心だけではどうにもならない、それら全てを統制する大いなる意思を考えることができないという限界があります。

第十医住心 万物は真実のあらわれとして、大きな歓びをもって受けとめられる

人間の体の中に起こる事件(病気)もまた、大きな原理(宇宙の意志)に従っていることをポジティブに受け入れる境地。その真実とは 1、いつか必ず全体の死を迎えること。 2、全ての細胞が同じ遺伝子・同じ起源を持つにもかかわらず、生き方・死に方・殺され方・殺し方はまるで別世界と思われる程の不平等があること。 3、一旦細胞が体内に生まれるとその役割を細胞の意志で変更することができないこと。 4、重要度の劣る細胞の死を犠牲として重要度の高い細胞が生きながらえること。 5、癌のような異なる遺伝子を持つバグが生まれ、バグは全てを破壊せしめる力を持っていること。 6、細胞たちはあきらかに統合された動きをするが、一つ一つの細胞は生きようとする意志をもち、一つ一つの細胞は統合した意志があることさえ知らない。 7、人間の意志によりすべての細胞を殺すことも、一部の細胞を殺すことも非常にたやすくできる。 8、細胞たちは人間の意志に逆らうことも抗議することもでき、個体主に苦痛という罰を容赦なく与えることもある。 9、しかしそれでも、最終的な生殺与奪権は人間本体の意志にある。 10、癌のようなバグ細胞が出現した際、それでも人間を生かしておくためには癌に対抗できるような「切除」「放射線」「化学薬品」など、外界からの次元の異なる処置によって癌を除去し、人間を助けるという奥の手が存在する。医療は「奥の手」である。 11、それぞれの生き方・寿命・役割の不平等を命令・指揮している大いなる意思がなければ生き物は何一つ生きることができないこと。大いなる意思という見えざる力によって万物が統制されていること。 このような真理を知った時、一人の人間もまた上記の1~11の真理の中を生きていることが理解できます。
これを地球という規模で考えると、地球はいつか必ず地球全体の死を迎えます。太陽も死を迎え太陽系、銀河系も死を迎えます。その時に、あらゆる生物は死滅し、これまで生きてきて命をつないできた努力は全て無に帰します。
人間は全員がほとんど同じ遺伝子を持っていますが、病気で生まれ、天才で生まれ、美人に生まれ、生後すぐに死を迎える者もいて、事故で死に、国王に生まれて大事にされ・・・など不平等極まりない社会を生きます。そして、それぞれが何かの役割を持っています。自由のように見えますが、遺伝子の制約、生まれた場所、血筋などでほぼ一生制約を受けています。生まれてしまってから自分の遺伝子を変更することはできません。そしてご存知のように、誰もが平等な人生を送るのではなく、戦争で多くの人が死に、貧しい人たちの労働力で裕福な人たちの豊かな生活が支えられ、犠牲や失敗に泣く人の上に成功を手にする人がいます。犠牲無くして成功はなく、犠牲は全体が生き残るために常に作りだされます。それは意図的ではないと言っても、見えない大きな力の意図があります。国王を生かすために多くの国民が犠牲になります。しかし、平和に見える国内でも、テロリストやギャング、マフィアなどの暗躍部隊が必ず生まれ、場合によっては暗躍部隊が国を滅ぼします。
というように、人間の体内で起こっている細胞たちの一生は、そっくりそのまま私たち人間の実生活と瓜二つであることがわかります。いや、わかるのではなく真理を見ようとする人にしかわからないかもしれません。 第十医住心はこうした大いなる意思(波動)が存在することを悟り、大いなる意思とともに生き永らえようとする心です。それが密医学の真髄です。