医者の責任力

はじめに

私は約20年後にピークを迎える超高齢化社会に日本が世界が耐えうるように「高齢層の健康増進計画」を立てています。「おまえごときに何ができるんだ!」と笑われてしまいそうですが、日常損傷病学を立ち上げた目的は「死の前日まで元気に歩いていられる社会」を世界に築くことです。そのために誰かが本気で行動を起こさなければならないと考えました。そしてこの10年間、他の医者が治せない症状・疾患を「安全に治す方法」を次々と編み出しました。そろそろこの技術を世に広めようと考え始めたのですが、そこで大きな壁に突き当たりました。他の医師に技術を教えた時に、安全性が確保されるだろうかという問題です。万一医療事故が起こった際にその責任をどうやってとればよいだろうか?という問題です。私は既に「医療ミスが起こって患者に重大な後遺症を作ってしまうことになったら、法の裁きを受ける」という覚悟をしています。そうした覚悟の上に私の築いた「他の医者が治せない難病を治せる」技術があるわけで、逆に言うと「覚悟」がない医者には私の技術を伝えることができないという大きな壁があります。医療技術の推進のためには「覚悟を決めた医者たち」の力が必要であり、そうした精神力こそが必要とされています。ここでは「覚悟」を決めた医者にのみ「考える力」が宿るということを解説していきます。

医療ミスの責任は医者にはない

医者は必ず医療ミス(事故)を起こします。時には死亡させてしまうこともあります。しかし、医師が国の定める治療ガイドラインに乗っ取って行った医療行為で事故が起こった場合、医者は責任を問われることはありません。よってガイドラインは医者にとって命綱であることがわかります。メスで腹を切り、頭を開き、大胆な手術ができるのはそうしたガイドラインによって医療事故が免責されているからです。それが「医師免許」なのです。
ガイドライン、すなわち医学書の内容は医師のライフラインですから医師は終生ガイドラインを勉強する義務があるわけです。知らない間にガイドラインをずれた治療を行い、それで事故が起これば訴訟で敗訴することもあるからです。よって医師たちは自分の命を守るのと同じレベルで医学書の内容を死守します。たとえ目の前の患者に医学書通りの治療をしても治らない、悪化させるということを薄々感じていたとしても医学書の内容を絶対視します。それは患者の健康を守る以前に、患者に触れることを許可してもらうための医師免許を守らなければならないからです。
ここで大切なことは医学書の内容は100年後には全く改訂されていたとしても(内容が正しくないとしても)現時点では絶対的な聖書であるということです。それは歴史に名を残した医師たちのプライドや面子にかけての絶対的な聖書です。医学書を否定する者は断固許してはいけません。近頃では異端児の医師が医学書を否定したりと医師のメンツが傷つけられていますが、それでも国家レベルの医療体制として医学書の否定はあってはならないことが前提となっています。なぜならば、それが医者と国家の医療事故責任を免除してもらうための基礎だからです。よって医学書をけなす者は医師(仲間)にも国家にも嫌われます。医学書が正しいか間違っているかは関係ないのです。なぜ全国どこの医者も同じ治療しかしないのか? 医者それぞれの個性的な特殊治療がほとんどないのか? の理由は「医学書のガイドライン上で国と医者と患者が生きている」からなのです。

ガイドラインが禁じている治療

ガイドライン・医学書が「この患者には使用してはならない(禁忌)」としている治療法を医者が行った場合、医療行為が法律で守られなくなります。医療事故が起こった場合の責任を医師が負います。それだけではなく場合によっては傷害罪、傷害致死で刑事罰を問われる可能性が出てきます。禁忌とされている注射を行えば、医療事故が起こった場合に、注射との因果関係がなかったとしても責任追及は免れないでしょう。
例えばケナコルトという薬剤の能書きには「腱が切れる可能性がある」と書かれています。だから腱鞘炎にケナコルトを使用すれば、万一患者の腱が切れればその責任を負わされる可能性があります。それがケナコルトが直接原因でなかった場合も、誤解されて責任を負わされる可能性があります。
多くの医師たちはケナコルトが腱鞘炎に劇的な効果をもたらすことを知っています。しかし、ケナコルトは万一腱が切れた場合にその責任を負うことが決定している薬剤です。能書きにそう書かれています。腱が切れた場合に重責を負う義務が生じる治療を「医者が行う」にはどれほどのマイナスになるかを考えなければなりません。しかも腱鞘内注射は料金が\350-と極めて安い値段です。重責を背負う価値のある値段ではありません。重責を負うには桁が二つ違うでしょう。つまり、水溶性のステロイドを用いる治療なら¥350-で割に合いますが、ケナコルトを用いるのであれば¥35000-の治療費が妥当だと言う意味です。そのくらいの治療費なら、医師がケナコルトを用いることに重い腰を持ち上げてくれるという意味です。重責を負う対価です。
また、同様に関節内注射でもケナコルトは「動揺関節には禁忌」と書かれており、万一関節内注射で不具合が起こると責任を負わされる可能性があります。 よってケナコルトを使用することは医者にとって極めてデメリットが多いものです。そのうえ関節内注射は¥800-というあまりにも安い値段設定です。針を刺すだけでも医療事故が起こる確率があるというのに、この安さではケナコルトを使用する重責を背負うことは不可能でしょう。逆に言えば、この安い値段の関節内注射にケナコルトを使用することは自虐行為と言っても過言ではありません。よって患者が「ケナコルトを入れてくれ」とせがむ場合がありますが、これは医師に対して「自虐行為を俺のためにやってくれ」と極めて身勝手な要求をしているのと同意になります。

ガイドラインにない医療行為の重責

私は他の医者が治せなかった症状・疾患を専門に治療してきた医者です。つまり他の医者たちはガイドライン通りに治療して治せなかった患者を私は「ガイドライン以外」の方法で治療してきたわけです。そうなると全ての診療行為に法的に守られないという重責を背負ってきたことになります。何かあったら医者生命にかかわるという崖っぷちに自分を追い込みながらの診療でした。だからこそ、その責任を負うために自らデータをとり、研究し、副作用報告を行い、水面下で莫大な努力をしてきたわけです。
私はこれまで一度も治療で崖を踏み外したことがありません。偶然であると言われればそれまでですが、私はこれまで独自に研究を行い続けることにより、崖の位置を知り、そこを避けるように歩いてきたわけです。だからリスクについてもよく研究しました。 さて今後、私が開発した様々な診療法を多くの医師たちに伝えていくに当たり、先生方にはガイドラインを超えるという重責を背負ってもらわねばなりません。

考える医者の誕生

医者は目の前に原因不明の症状の患者がいる場合、「治療法をどうしようかと悩むこと」が事実上禁止されています。どんな症状にも必ず病名をつけ、そしてその病名に応じた治療ガイドライン通りに治療しなければなりません。それが保険医療です。治療法を悩むことは病名をつけないことに等しいので許されていません。ましてや治療法を考え出すことはもっと許されていません。一般的な医者は(教授ではない限り)学ぶことは許されていますが考えることはゆるされていません。自己流で考えた治療に保険制度は金銭を払ってくれませんし、事故があれば責任を負います。だから考えてはいけないわけですが、逆に言うと、起こり得る医療事故の責任をとり、保険制度を使用せず、自費請求すれば、「考える治療」を行ってもよいこと意味します。
自費で行えば「治さないわけにはいかない」、責任をとるとなると「緊張感がはりつめる」「下調べ・研究が必要」であり、中でも患者との信頼関係が非常に重要であり同意してもらうにも苦労するでしょう。さらに患者自身が他の医者には治せなかった患者ですから、「極めて治り難い」ことが最初かわわかっています。医者にとって不利な条件が重なります。ですから「患者を治すためには何にでも挑戦する」という強い精神力がない限り「考える治療」はできません。
患者は「痛いのにまともに治してもらえない」ことに不満を訴え、「医者が何にも考えてくれない」と言いますが、現在の医療では考えることが禁止されているということを知らなさ過ぎだと思います。医者に「もっと俺の症状を考えてくれ」と頼むことは「無法者になってくれ」と言っているに等しいのです。考えた治療は法で守られないため不備があったら責任をとらねばなりません。責任をとる医者がいてもいいだろうと思うかもしれませんが、実際は責任をとるには診療費が桁違いに安すぎるのです。医者にも養うべき職員や家族がいるわけで、診療行為には周囲の人々に対する責任も負っているのですから。
一方、ガイドラインに沿った診療は「診療費は安い」ですが国と法に守られ、わずらわしく考える必要がなく責任も負いません。今のところ考える医療は「悪」であり考えない治療は「正義」です。すでに「考えない治療」でさえ、医者たちが猛勉強した集大成であり、「考えない治療のどこが悪い!」と医者たちから反論されても何も言えません。 ただ、残念なことに超高齢化社会は20年後に迫っており、「考えない治療」のまま時を進めることができません。今は医療が急展開を望む時期です。だから異端児と呼ばれる「考える医者」を次々と誕生させていかなければなりません。

考えない医者の典型=「あるはずがない」

私はこれまで医学書には「あるはずもない」症状を多数診察してきました。というより私の専門は「医学書にあるはずがない症状」の治療ですので、「あるはずがない」ことしか診療して来なかったと言っても過言ではありません。ここで非常に重要な事実があります。医学書が否定している「あるはずがない」症状が世の中に莫大に存在することです。おおげさではありません。私がライフワークにできるほど「あるはずがない症状の患者」が莫大に存在します。そして治すことができるのですから、それらは嘘でも幻でもなく、私が神でも超能力者でもなく、実在しています。それを認めることは医師のプライドを著しく傷つけることですから、医学界は必ず否定します。そして名の知れたプライドの高い医師ほど頭ごなしに「あるはずがない」と言って否定する傾向があります。
最近の話ですが、遠方からわざわざ私の治療を受けるために東京に滞在したアロディニアの患者がいました。上肢から首にかけてのアロディニアを治療しようと、頚部・胸部硬膜外ブロックを5回程行いましたが、全く効果なし。原因として硬膜の癒着を考え、ステロイドを注射液などに入れましたが、それでもダメ。おそらく癒着のせいで薬液が適所に入らないことを考え、患者にそのことを伝えました。 患者は「カテーテルで癒着を剥がす手術をする医師がいる」ことを知り、その医師にメールで相談しました。すると、「ステロイドで癒着が剥がれるはずがない」「アロディニアの原因が癒着であるはずがない」というような内容の文章が送り返されてきたそうです。 「あるはずがない」という「考えない」の典型例です。カテーテルではがすことを専門とする医師は保存的に癒着を治療していくという考え方をいとも簡単に完全否定することを知り、私はショックを受けました。
ちなみに私は以下のように考えます。硬膜外腔に癒着があると、癒着周囲の神経根や脊髄が広範囲に緩やかな炎症を起こすと。これは濡れたきつきつのジーンズを吐いてマラソンに出場するようなもので、これを毎日繰り返せば、両足の皮膚が摩擦で出血したりたこができたり、広範囲に皮膚炎が起こったりすることでしょう。そうした広範囲の緩やかな炎症を抑制するにはステロイドが極めて効果を発揮するでしょう。炎症が抑えられれば、浮腫が改善し、周囲の血流が改善し、癒着した組織が周囲からわずかずつ正常化するでしょう。その結果、徐々に癒着が剥がれて行くだろうと考えます。 上記の医師のように「ステロイドで癒着が剥がれるはずがない」とは決して思いません。しかし、「あるはずがない」と決めつける医師は私が半年かけてこの患者のアロディニアを治癒させたとしても、「そんなことがあるはずがない」と否定するでしょう。これが「考えない医者」の典型例ですが、世の中のほとんどが「考えない医者」であることは、残念ながら事実なのです。その理由は後に述べます。

考えることが苦手な医者

多くの医者は考えることを禁止されて育ちます。よってそもそも「考える」とは「何を考えるのか?」をわかっていません。ここでは何を考えるのかの基本を述べます。以下に例を挙げます。
先週、坐骨神経痛の患者に腰部硬膜外ブロックを注射し、今日の外来で 「先生、全くよくなりません」と言われました。そのときあなた(医者)は「全くよくならない理由」をどのように考えますか?
  1. 全く効かないなんてあり得ない。心因性か?
  2. 生活習慣が悪い、安静にしないからすぐに再燃した
  3. ブロックが無効なほど神経の物理的な圧迫・破壊が強い
  4. 硬膜外の癒着が強く薬剤が浸透していかなかった
  5. 椎間孔での狭窄のため薬液が神経根に到達しなかった
  6. 急性の炎症が強すぎてブロックしても治療しきれていない
  7. 前回のブロックが不成功だった
  8. 薬の量が不十分で、標的個所まで薬液が届いていない
  9. 腰部よりも仙骨部のほうが効果があるかもしれない
  10. もしかして原因が他にあるかもしれない
 
「全く効かない」と言われたときに、即座にこの10項目を思い浮かべる医者はおそらく世界中を探しても「私しかいない」でしょう。そう断言する理由はこれだけ考えたとしても、それぞれに異なる治療法が存在しないからです。考えたところで手がないのなら「考える必要」が存在していられません。
ところが私の場合、この10項目にそれぞれ異なる対策を持っています。世界中の医者を探してもこの10項目にそれぞれの対策を創作している医者はいないでしょう。それよりも安易に手術を勧めると思います。なぜなら考えることはとても面倒で複雑、かつ治る保証もなく、考えた治療でミスすれば訴えられ、考えることにメリットがないからです。そして考えれば考えるほど治療はさらに面倒になります。
例えば3、ブロックが無効なほど神経の圧迫が強い、という考えは急性の圧迫か?慢性の圧迫か? 神経が壊死しかかっているか元気が良いか? 神経自体に張力が強くかかっているかどうか? ニューロンの損傷程度・炎症性の浮腫の程度は? などの疑問が次々と浮かびます。しかし、これらの疑問を浮かべるのはおそらく私だけでしょう。他の医師たちは各々に対する策を持っていないから考えも及びません。
3を例に挙げただけでこれだけ多くの疑問が浮かぶわけですから、10項目では50から100通りの原因が考えられることになります。さらに組み合わせで何千通りにもなるでしょう。ひとりの患者に何千通りもの原因と治療法を考えていたのでは医者として仕事になりません。考えることはこれほど面倒で複雑です。
ちなみに5の「椎間孔での狭窄のため薬液が神経根に到達しなかった」では次のような考えが浮かびます。狭窄状況が姿勢によって変化するのか?しないか? ステロイドを使えば浮腫が軽減して圧迫がとれるのか? 圧迫部位の近位と遠位の両方にアプローチすれば効果が出るか? もしかすると圧迫の弱い日にブロックをすれば効果が出るか? 体位を変えてブロックすれば薬剤が通るか? などなど。これらを試すためには医者に不屈の精神力と患者との大きな信頼関係が必要になります。どうですか? これほど「考えることは面倒」なのです。

無限通りの治療法を考える

治療法の発想は無限に広がります。しかしながらこの発想は医学論文で裏づけされている発想ではありません。単に私のオリジナルの発想です。したがってこれらの発想への対応策もまた治る保証がありません。だから必死に考えて行った何通りものブロックが全て無効の場合もあるでしょう。そして数十回トライしたブロックの中で唯一、一つのブロックだけが効果を発揮する可能性もあります。その可能性を求めてさまざまな手法を試すのが私のやり方であり、世界広しといえども私しにしかできないことなのです。 その理由は「患者がいろんな治療を何度も何度も試させる」ということを普通は許さないからです。
私はブロック技術を磨くと同時に、いかに「患者に負担をかけずにブロックができるか?」という技術を磨きました。痛くない、怖くない、副作用や合併症を起こさないブロック技術を日夜研究しました。そのおかげで「患者がいろんなブロックをトライすること」に応じてくれるようになりました。
こうした基礎があってこそ、患者が「考える治療」を許してくれるようになったのです。ですから、このレベルに来るまでには様々な技術革新があったわけで、そういったことを医学書で勉強している医師たちには真似できません。だから世界広しといえども「私にしかできない」と述べました。治療法は考えることはできても、それを簡単に試すことができないのが現実です。治療には責任がつきまといます。治らなければ治らない責任、そして万一合併症を起こせばその責任を追及されます。その緊張感ただよう中で「いろんな治療を試す」ことができますか?

自虐思考が必要

さて、先ほどの1~10を再度考えます。 1~5は医学書的な思考であり、6~10は医学書にはない思考、です。1~5は研究熱心な医者には発想することがまだできますが、6~10は医学的な裏づけが全くとれません。裏づけが全くとれない分野は「研究さえできない」のが現実です。研究さえできないものを考えると、それは「空想」といわれてバカにされるのが学者の世界の常識ですから、バカにされることを嫌がる学者は6~10には一切触れません。
ならば6~10について熱心に考えることは医者同士の間でバカにされることを受け入れなければなりません。バカにされることを喜びと感じなければなりません。よって、6~10を発想する医師は「異端児」と呼ばれます。そこまで自虐的になることで6~10の思考へと駒を進めることができます。これが医学書を越えた思考・治療になります。医学の新知見は全てここから生まれます。つまり自虐から生まれるのです。

具体的な異端児の発想

それでは実際に異端児はどのような発想をして治療法を編み出すのかを具体的に述べます。
  • 6、急性の炎症が強すぎてブロックしても治療しきれていない
  この場合、A炎症が軽快するまで何度も繰り返す、B炎症を抑える薬剤を併用する、C炎症が軽快する時期まで待つ、D炎症を抑えさせるための生活指導を行いながら治療する というような発想が生まれます。BとDの発想は少々難しいものがあります。Bには水溶性ステロイド、固形ステロイド(ケナコルトなど)、NSAID、生物学的製剤を使う方法がありますが、おそらく、これらを自在に併用してブロックを行っているのは私だけでしょう。なぜなら、水溶性ステロイドやNSAIDでは炎症が引かないからです。そのためケナコルトなどの固形ステロイドを用いたり、坐薬を短期間大量投与したり・・・など工夫をこらして併用しています。医学書にはない発想です。さらにレミケードなどの生物学的製剤の使用も視野に入れていますが、さすがにこれは副作用や薬剤の値段の高さのためになかなか手が出ません。また、リリカやトラムセットでは炎症を抑えることがほぼ不可能です。それを真摯に受け入れることも異端児の発想です。製薬会社に毒されてはいけません。
  • 7、前回のブロックが不成功だった
  ブロックが成功か不成功を見極めるのは「癒着している箇所へのブロック」では極めて困難となります。抵抗の減弱法では適所に入ったことが認識できないからです。よってブロックの不成功を知る手段は正確には「前回のブロックが効果があったかどうか?」を患者から訊き出すしか方法はありません。 しかし、患者が「効かない」と述べた場合、それはA患者の症状が強すぎる、Bブロック箇所が的違い、C効いているのに「効いていない」という「満足しない」性格、D本当に不成功、のうちのどれなのかの判断がつきません。
特にCの場合、ブロック後、痛みを抑える効果が「何分しか続かない」「何時間しか続かない」「半日しか続かない」「1日しか続かない」「数日しか続かない」という状況で、どこまでを効いているとし、どこからが効いていないとするのか?がわかりません。医学書にもそのようなことは一切書かれていません。だからブロックを不成功と判断するにしてもその判断材料がありません。 さらに、患者が「前回のブロックが効果があった」と言った場合にも問題があります。 その理由はAプラセボ効果、B不成功でも少しは効く、C不成功の方が奏効する、ことがあるなどがあります。 Cの不成功の方が効果がある、ことの理由を知っている医者はいませんが、私は以下のように推測しています。治療には全てプラス面とマイナス面があり、プラス面の大きい治療はマイナス面も必ず大きくなります。両者の差し引きが効果です。不成功の治療はマイナス面も小さいため、場合によっては「成功」よりも効果が高くなるということです。
例を挙げると、神経根ブロックです。神経根ブロックは「神経根そのものに針をさして液体を注入」させますが、針を刺す、注入圧がかかる、神経根に造影剤という異物を入れる、ことでマイナス面も多くなります。それよりも神経根の周囲に液体が流れ込んだ方が、マイナス面がゼロとなり、効果が強くなることがあります。また、トリガーポイント注射でも神経根ブロックと同等以上の効果がある場合もあります。それはトリガーポイント注射のマイナス面が極めて小さいことも理由の一つです。このように「不成功」の方が効果が高いことがありますが、この事実は医者が「まず認めない」ことです。 さて、私の場合どうやって不成功を知るのでしょう?
まず、患者に毎回徹底的に「治療効果」について質問し、その度に上に挙げた項目を考えに考え抜く癖をつけることです。とても面倒で煩わしい作業です。 次に「効かなかった」と言われればそれはほぼ100%自分のせいとすることです。自分のせいとすることでミスを認識する能力が少しずつ身につきます。 最後に「もしかして入っていないかもしれない」と少しでも感じた場合は、確かな手ごたえが得られるまで何度も繰り返す方法です。そして、不成功自体をできる限りなくすことです。
番外として、「痛くないブロック、合併症を作らないブロック、恐怖感を与えないブロック」を行えなければなりません。なぜなら何度も成功するまで「やり直しをする」場合、患者との信頼関係ができていなければ、患者がそれを許可しないからです。そのためには「痛くないブロック、合併症を作らないブロック、恐怖感を与えないブロック」が不可欠です。だから「不成功をなくす」ブロック技術はかなり高等技術であり、相当な修行を積んだ医師にしか行えません。特に「番外」こそ重要なのですが、名のある凄腕の医者でさえこの技術を磨いてこなかった者が多いようです。 よって「不成功であった」ことを知ることは「極めて高度な技術」であり、不成功を知ることは一般的な医者には事実上無理に近いと言えます。
自分のミスを認識できるようになり、不成功をゼロ近くにまでできるようになると、「他の医師たちがどれほど不成功が多いか?」が患者を通じての情報からわかるようになります。明らかに私の行うブロックと他の医師の行うブロックに効き目の差があるからです。この事実はまた、他の医師たちには「ミスを察知する能力がない」ことを暴露することを意味しています。おそらくミスを察知する能力がある医師は世界に数えるほどしかいないでしょう。
  • 8、薬の量が不十分で、標的個所まで薬液が届いていない
薬剤の量や濃度を変えると効果が変わるということは医者ならば誰もがうすうす感じていることでしょう。しかし、量や濃度を増やすという発想はたやすくやってよいことではありません。なぜならば、万一髄内ブロックになってしまった場合、量や濃度が多いと患者が死に至ることもあるからです。医者としては量や濃度を多くするメリットは全くなく(報酬がアップしません)、リスクだけをめいっぱい背負うことを意味します。ですから、量や濃度を増やすことはまさに「責任を負い、リスクを背負い、報酬はアップすることもなく、患者の症状を軽くすることに医者生命を賭ける」ことになるのでそれを行うには極めて強い自己犠牲の精神が必要になります。自虐的な異端児的な、そして卓越した技術を持つ医師にしかできない芸当です。周囲に該当する医師はいますか?
  • 9、腰部よりも仙骨部のほうが効果があるかもしれない
これはお金の問題です。腰部硬膜外ブロックは8000円、仙骨部硬膜外ブロックは3500円です。仙骨のほうが効果があると感じたときに、お金をもうけることを投げ捨て、値段の安い硬膜外ブロックを毅然として行う医師としての心構えが問われます。これは単なる例ですが、医師は時に効果よりも利害を求めて動きます。開業医は特にそうです。利害を投げ捨て面倒くささを受け入れ、患者にもっとも効果のある治療法を選ぶ勇気がありますか?という問いです。各自自分の胸に手をあてて考えるしかありません。
  • 10、もしかして原因が他にあるかもしれない
全10項目の中で、この項目が医者として最大の難関です。「原因が他にある」と考えるのは医学書を否定することを意味します。医学書は世界各国の権威ある教授たちが述べている論述の集大成です。それを否定することは偉人を否定し、大学を否定し、学会を否定し、厚生労働省(国の保険制度)を否定することを意味します。そこまで否定して「新たな診断」を下すわけですから、医者生命が危なくなります。だからよほどの異端児以外にこの10番目の項目に駒を進める医者はいません。
加えて、異端児でさえ、駒を進められない理由があります。その理由は、患者が「このブロックは効果がない」と言ったときに、医者が「ブロックミスを絶対に行っていないとする確信」が必要だからです。「ミスをしていないという確信」は普通の医者にはできません。前に述べたように、自分のブロックミスを認識する高次元能力を身に着けた医者が、「難易度の高いブロックを何度も成功するまで繰り返す」ことができると強い精神力を重ねてはじめて「確信」が得られるからです。この能力は「痛くないブロック、合併症のないブロック、怖くないブロック」ができる技術を持った上でのさらに高次元能力ですから、普通にブロックを修行してきただけの医者では身につきません。だから「もしかして原因が他にあるかもしれない」と考えを及ばすにはブロックをする医者として究極のポジションにいる必要があります。そんな精神力の強い医者はめったにいません。だから「もしかして原因が他にあるかもしれない」と考えることは「普通の医者にはできない」ことです。ただし、普通の医者も「原因が他にある」とうすうす気づいています。ただそれを治療に反映させる勇気がないだけです。

医者と患者は油と水の関係

「他に原因があるかもしれない」という思考は、医師としては「やってはいけないこと」であり、やるにしても「極めて高い能力」と「異端児になるという自己犠牲」が必要で、極めて困難なことです。しかしおもしろいことに、症状の原因が「他にあるかもしれない」と患者の多くはすぐにそう考えます。患者は「今の医学書では治せない症状」であることを受け入れないからです。そして現実逃避の一つとして「他に原因がある」ことに思考をはりめぐらせ、「他の意見」を探して一日中インターネットを検索し続けます。そして「他の意見」が何千通りもあることを知り、そして患者は何千通りの治療を全財産をはたいてまで受けることに執念を燃やします。そしてたまたま私のサイトにヒットし、受けに来られた方はラッキーでしかありません。その何千分の1の確率にたまたまヒットしただけのことだからです。
さて、医者にとっては「他に原因がある」ことを考える能力は極めて身に着けることが難しいにもかかわらず、患者はいとも簡単に「他の原因」に思考をはりめぐらせる。この医者と患者の考え方の差は油と水であり、常に互いをなじりあい、けなしあい、和合しないことを常識として知っておく必要があります。 医者が「他の原因」を考えることは異端児、自己犠牲の象徴。患者が「他の原因」を考えることはないものねだりの象徴です。ないものねだりをいう極めて自己中心的な患者と、自己犠牲をもろともしない異端児の医者が出逢ってはじめて独特な治療が生まれます。

医者たちが医学的な発見を簡単にはできない理由

「もしかして原因が他にあるかもしれない」と考えた場合、その原因について、他の医者たちは納得しませんので攻撃される可能性があります(医学書にない発想のため)。そして患者も納得しません(普通の患者は常識的ではない治療を理解できないため)。さらに患者の家族も納得しません(担当医を信じていない)。よって例えば「子宮内膜症の原因が胸髄にあります」という発想をしたとしても、患者がその医者の元に来院し、治療することは不可能です。百歩譲って治療がかなったとしても、成功しなかった場合の責任を医者が負わされることになります。さらに「独自の発想から行った治療」には保険も効きません。もしも効果がなかったり、逆に痛みを悪化させてしまったりした場合、患者と医者の信頼関係は一挙に崩れます。開業医であれば患者に悪評も立てられます。大学では破門にされるため行えません。よって、これだけのリスクを背負ってまで「他の原因に対する治療」を行うことは普通の医者には不可能です。不可能だからこそ世界中の他の医師たちには私の行ってきたような様々な発見ができないわけです(まあ、時代が進み、事実関係が判明してくればどの医者にもできるようになります)。
子宮内膜症の治療を胸部硬膜外ブロックで治す(腰部ではないところに注目)という突拍子もない治療を患者に行うためには、実際は莫大なステップを積み重ねなければなりません。まず、その患者の他の様々な症状(肩こり・めまい・自律神経失調・耳鳴りなど)をブロックで瞬時に治してゆき、「この医者の診断・治療技術は神技に近い」と思わせるほどの信頼関係を築く必要があります。「この医者は凄腕」と思われるくらいになると「子宮内膜症の治療も任せてみよう」という思考が生まれ、やっと患者が「独特な治療を受けてみよう」とします。そこから初めて子宮内膜症をブロックで治すという領域に駒を進められます。医者の異端児的な発想を現実に変えることができるわけです。
つまり、私がこれほどまでに驚くべき新事実を次々と発見できたのは、すでにブロックで様々な他の難病を治せるようになっているという土台があってこそです。そこまでの技術があって初めて「医学書をたやすく否定していく精神」が養われます。以後、その精神を忘れなければ、いくらでも新しい治療法を考えていけるようになります。異端児の発想も年々積み重なり、小技が大技へと導くからです。
ただし、それらの治療のエビデンスを完璧に得ることは難しいといえます。なぜなら私がこのように発表したところで「信じるに足りない」データだからです。治療効果は患者の主観ですから数値に表すことは困難です。また、患者の満足度はさらに数値化が難しく、数値に表せたとしてもそれ自身に信憑性が少なくなります。
信じるに足りない研究発表を行うことは学者にとってはメリットが少なく、慈善事業に近いでしょう。しかしながら、「考える治療」をするには最低限の責任として研究しなければなりません。なぜならば、考える治療は法的に守られていないため、患者に事故が発生した場合、その責任を負わされるからです。責任を負わされれば、医者本人だけでなく、その家族の人生も巻き込む可能性があります。そうした危険に自ら飛び込むことは自己犠牲だけでなく家族犠牲になります。よって、「考える治療」は理不尽極まりないものです。これが他の医者たちが「考える治療」ができない理由です。

見放された患者たち

私は全国の「他の医者が治せなかった症状」を持つ患者を診療しています。すると私の先輩医師からこんな忠告を受けました。「おまえは全国から医者が見放した患者を治療しているようだが、訴えられないように気を付けろよ」と。 まさに、この考え方はザ・医者です。その通り、私たちは患者から訴えられるのが最大の恐怖なのです。そして「考える治療」を行うと、訴えられた際に、裁判で敗訴する可能性があること。さらに医師賠償保険からお金が下りないために、自分が賠償金を支払っていかなければならないこと、などの重責がかかります。
よって「患者のために考える治療をする」ことは「医者の世界では絶対にやってはいけないこと」となります。もちろん、私はそれを承知で「考える治療」をしています。私がやらねば他にやる医者がいないというただそれだけの理由です。 私がショックだったのは先輩医師が「医者が見放した」という言葉でした。「治せなかった」ではなく「見放す」という言い方をしていたことでした。見放すということの真意は「自分はあくまで正義の治療を行い、それに反応しないのは患者が狂っている」ということが前提になっています。「狂った異常者の患者」とみなしているからこそ見放すという言い方になるのです。
「そうか、目の前の患者を治せなかった医者は、その患者のことを異常者として扱うのか…」と。すると私はさしずめ「異常者のみを相手にしている異常な医者」ということになるんだろうなあ。と感心してしまいました。 私は患者の症状を治せなかった場合、「必ず自分の治療に抜けがある」「何か工夫すれば抜け道がみつかる」と考えて治療してきましたが、そうした考えが医者の間では異常者扱いされることがこの歳になってようやくわかりました。なるほど、これでは「考える医者」が育つはずがないでしょう。

考える治療を実現させる

考える治療=重責を一人で背負い込む治療 です。若い医師には不可能であり、極めて高い技術を習得した秀逸な異端児医者にしか不可能です。そうでない医者がやってはいけないものです。考える治療を行うには様々な障壁があります。その障壁を乗り越えるべく、私は自分が得た情報を無料で提供します。 ただし、私が新治療の情報を提供し、「この難病にはこの治療で軽快させることができる」というデータを公開しても、他の先生方にはなかなかできない理由があります。それは学術的な問題でも法的な問題でもなく、患者との信頼関係が築けないからです。
医者が治せなかった症状を治療するには、一般人が普通に考える治療をしていたのでは無理です。よって治療は「患者さえ理解してくれない」ものとなります。患者が理解してくれないものは、患者がその治療を受けてくれません。よって治せる技術があったとしても、それを実行することはまず不可能なのです。 私は最近はパーキンソン症候群の治療(小刻み歩行、ふらつき、震戦などの治療)を積極的に行っていますが、そうした治療でさえ、何度か難治性の症状を奇蹟的に治した後に、患者が私を信用し、そうしてようやくパーキンソン症候群の治療に応じてくれるようになります。だから普通は「他の医者が治せない症状を治せる」と宣伝したところで、医者も患者も誰も信じてくれません。
患者との信頼関係を築くには先生方が私へ弟子入りし、私が弟子と認定し、その認定を信頼の武器とすることがベストです。そうすれば患者が「考える治療」を受けてくれるようになるでしょう。しかし私の弟子入りをした時点で、その医者も異端児扱いされてしまいますのでたいへん不名誉になるかもしれません。ですが多くの悩める患者を救うためにはそれしかありません。私たちは異端児集団とみなされるでしょうが、人数が集まればメジャーとなれるでしょう。そして超高齢化社会は異端児医者集団のメジャー化を望んでいると思います。

考える治療には特殊技術が必要

先日、左のテニス肘に悩む患者が「肘にケナコルトを注射してください」と私に要求してきました。私はこの患者にすでに5回のケナコルト注射を行いました。そして患者は「少しはよくなっている。だから今日もお願いしたい。」とせがんできました。さて、あなたが医者ならばどう対応しますか?というクイズです。次の中から選んでください。
  1. 言われた通りにケナコルトを注射
  2. ケナコルト抜きで局所麻酔を注射
  3. 透視下に頚部神経根ブロックを行う
  4. 答えはどれも不正解です。

1は正解のように見えますが、5回注射しているのに治っていないということを考察しなければなりません。私は自分の経験上、5回の注射で治らない場合は原因が他にあると考えます。これまでの医者人生においてこの勘が外れたことがかつて一度もありません。よって2も不正解。3、は正解なのですが、何番目の神経根にブロックを行うか?が不明であり、かつ、患者が絶対に治療を拒否しますので不可能なのです。たかがテニス肘の痛みに、透視室で造影剤を使って仰々しく行う「とても痛い注射」に同意を得られるはずがありません。同意が得られないのに無理やり神経根ブロックを行って「痛みが治らない」となると責任を負います。よって、「この痛みはテニス肘の痛みではなく、神経根由来の痛みであろう」と考えたとしても、それを治療するために神経根ブロックを行うなど、医者にできるわけがありません。
ところが私は神経根ブロックをブラインドで数十秒で行う特殊技術を持っています。この特殊技術があってこそ、患者に「試しに神経根ブロックを行う」ということができます。先日は左C7に即席で神経根ブロックを行いました。すると痛みが完全に消え、そして完治してしまいました。完治させることでこの患者の痛みは、テニス肘が原因ではなくC7の神経根由良であることが診断できました。しかし、こうした「考える治療」には知識と経験以上に特殊技術が必要であることがわかります。指先の感覚で神経根を同定しブラインドで数十秒でブロックを行える特殊技術が。

考える治療が積み重なれば大蛇を飲み込む

一つ一つの考える治療が積み重なれば、そこには今まで不明とされていた数々の症状の原因が見えてくるようになります。そして例えば「膝が痛い」と言った患者に、その原因に種々の病態があって、治し方もすべて違うことがわかってきます。例えば、私は膝関節の痛みには3つの原因があり、1神経痛、2滑膜・軟骨炎、3骨壊死、4その他(中枢感作など)、がありこれらの組み合わせで行く通りもの病態があり、それぞれ異なる治療法を提案できます。そして膝痛の診断名も数十通りのものを用意できます。そしておそらく、誰よりも適切に(手術を行わずに)膝痛を除去できます(「注射が効かない膝痛の正体(骨壊死)」ブログ参照)。
しかし、私の診断技術と治療技術が一般的なガイドラインとして普及してしまうと、これまでの整形外科の手術や治療の大半が否定されることになります。そして過ちを認めることになります。それは彼らの医者生命にかかわる一大事であり、私のガイドラインが普及することは医学界に嵐を巻き起こします。私はそうした「嵐を巻き起こす診断・治療」を数々提唱し、実践してきました。
しかし、嵐を起こすことは世界の医者たちに迷惑をかけることであると知っているため、細々と目立たぬよう活動しています。矛盾していますが、嵐を起こすことが医学界に関わる方々に迷惑をかけることを知り、心が痛いのです。また、私の診断力は極めて高い技術力の上に成立していて、ガイドラインを普及させたところで、私と同じ診療技術を他の医者たちが身につけることは難しいことも知りつつあります。 世界の超高齢化社会を医学面からささえようと思い、最初は自分を磨いていたのですが、磨いて研究すればするほど、「他の医者たちにそれらを伝えることが難しい」ことを認めざるを得なくなってしまいました。理由は「責任力」です。
考える治療には責任がつきまといます。その責任を負うには上に挙げたような種々の難題をひとつずつクリアしていかねばなりません。さらに、これらの「考える治療」を普及させることは、アリが大蛇を飲み込むようなもので、それには相当の痛みを伴うことでしょう。その痛みが人々を不安にさせることでしょう。それでも私はこのいびつな高齢化社会を根本的に救うために、国家のために、世界のために、「考える治療」を続けるしかありません。理由は「私がやらねば誰もやらない」からです。こうした考え方に賛同し、弟子入りして下さる医師を探しています。私一人の力では多くの患者を救えないからです。異端になってくださる医師を探しています。

医者の責任力」への6件のフィードバック

  1. 会社の同僚からの紹介で本サイトを拝見しました。さて、妻が1カ月程前から幻聴と妄想、具体的には生活が始終監視されていて、その実況中継が聞こえるという妄想状態になりました。7月11日に心療内科にかかり、現在も安定剤を飲んでいます。安定剤を飲むようになって気持ちは少し落ち着いたようですが、幻聴と妄想は変わらずあるようです。こうした症状がブロック注射で治癒する可能性はありますでしょうか。

    • 治せるかどうかは未知数です。ただ、薬剤で安定させることは根本的な解決にはなっていないと思います。私の行う上頚神経節ブロックは、脳の血流を増進させるものですが、奥様の神経症状が脳の血流低下に一因がある場合は絶大なる効果を発揮するでしょう。しかし、逆のパターンも考えなければならないのは、血流増進によって症状が強化されてしまうことです。強化される場合は一時的と思われますので永続的になることはまずないと思います。

       これらのことが理解できるのであれば治療を開始する道を選ぶのも手です。

      • ご返信ありがとうございます。
        血流増進による症状悪化が見られた場合は、原因がブロック注射では解決出来ないもの、例えば精神的なものに由来すると推定し、その後のブロック注射による治療は継続しないというプロセスになるということですね。
        現在医師の指示で薬の量を増やして様子をみているところです。
        私も妻も兵庫県神戸市に在住ですが、治療を受けることを検討したいと思います。

        • 以下のことをよくご検討ください。
           現在、西洋医学に精神疾患を根本的に完治させる方法は存在せず、しかしながら「精神疾患患者を実際に内服薬を使わずに改善させている実績」を持つ私の治療技術は、西洋医学の中では世界唯一です。日本唯一ではなく世界唯一です。当然ながら私の元へは全国から患者が訪れ、海外からも患者が訪れますが、もしも「精神疾患を内服薬なしで改善させること」が真実であるならば、世界から患者が殺到して当然です。ノーベル医学賞もとれます。普通の患者は診ることができない状態になっていてもしかるべきです。
           しかし、そうなっていません。もちろん患者は飽和状態ではありますが、なんとか診ることができています。その理由は「奇蹟的な治療は世間に信じてもらえない」という道理があるからなのです。よって、私は私の治療を信じて賭けるという患者しか救うことができません。どれほどすごい技術を持っていても、その治療技術を誰にでも使えるわけではなく、信じた者にしか使うことができません。
           そこには見えない導きの力が働いているわけです。「縁」というものです。縁がなければ私の治療は受けることができません。縁には結びつきを促進する力と、阻害する力があり、それは私にはどうすることもできません。
           副作用への恐怖、通院距離の問題、人を信じる力、お金がたくさんかかること、家族の反対、評判、治療経過、他の医師の意見、あなたの勇気・決断力などの様々な要因が阻害する力として働きます。縁は人の人生を根底から幸せにすることも地獄に落とすこともあります。ですから自分の頭でしっかり考えてご検討ください。

           お時間があれば、「波動医学」「ミラーニューロン」「難治性慢性疾患」「リリカ・トラムセットの副作用」などに書いてある記事を検索し、お読みいただきますと考える材料になると思います。

           精神疾患には我々人間には理解しにくい「別次元の力」が作用している場合もあります。奥様がそうであるとは限りませんが、西洋医学をかたくなに信じることは治る可能性を小さくすることになりますので、常に視野を広くもつことをお勧めします。西洋医学は精神疾患をまだ治すことができないという真実がよこたわっております。その真実を受け入れることは難しいと思いますが、とにかく、私は信じた者しか救えません。

           偉そうなことは言いませんが、信じる力が希薄であるほど治る可能性が少なくなっていきます。1回で治るものなら信じる力は不要。10回で治るものは信じる力が少し必要。100回で治るものは信じる力が莫大に必要。副作用が強く出る・お金がたくさんかかるものでは信じなければ一歩も前に進めない、ということです。

           信じなくてもよいですが「他の医師が治せないものばかり治している」という実績だけは確かなものです。

  2. ”多くの医者は考えることを禁止されて育ちます。よってそもそも「考える」とは「何を考えるのか?」をわかっていません。”
    多くの〇〇には政治家や官僚、大企業と入れても良いかも知れませんね。
    消費者も間違いでは無いでしょう。
    私の知る限りでは広告業界、メディア、にはその力が多少存在するのかも知れません、よって消費者はますます考えられなくなる。f先生のご指摘に感嘆します。
    わたしの知る限り、整形外科や接骨院に通院されて完治された方はいません。
    中にはこのサイトを支持されている先生方の様に治す事に専念されている方も居られるでしょうけれども、私の知っている限りにはいません。胃薬、胃腸薬、目薬で良くなった人もいません、常習性に陥っています。
    同じく最近話題の特保関連、健康食品、サプリメント、基礎化粧品で効果を顕している人も居ません。唯一バイアグラで夜の生活に復帰出来たよという知り合いは2~3人居ます。良い悪いは別にして唯一の効能です。以前にも書きましたが、常識を疑って掛からないとこれからの私たち、今までもそうでしたが搾取され続けるのだろうな~と、ぼやけた頭で考えています。
    常識を疑えの最初のステップは3食きちんと食べましょうから、2食になり1食になり超小食になり、1日6時間は寝なきゃ~から3時間睡眠になりと、現在進行形で何らの実績はありませんが、なんだか元気に過ごせています。
    さて、今回は関節の壊死や疼痛の話題を興味深く拝読しました。
    膝関節骨壊死が回復したの患者さんからの項も読みました。
    免荷という言葉もはじめて聞きました。
    要はF先生は痛みを和らげて患部の自然治癒力を助けるというか休ませるという事なんでしょうか?浅薄な文章ですみません。
    私が目のあたりにする整形外科ではそのような考え方をもって居ないような気がします。屈強な技師に体中を押され、曲げられもみしだかれているというイメージが先行します。もう10cmも歩幅が進まない方やこれでもかと両膝が離れ立つのもやっとと言う患者さんにフォローしている姿も見たことがありません。ただ要介護度が高いと思しき患者さんが車椅子に乗せられて、介護職に付き添わされて居るのはよく見ます。
    ブロック注射と免荷に対するリスクとして筋力の低下を指摘されていますね。私もその点気になります、関節、骨、筋肉、軟骨、神経まるで素人の私ですが患者さん術後、若しくは予防としてのヒントとなればと思い僭越にもコメントします。
    先生もご存じだと思いますが、水生類人猿説(アクア理論)と呼ばれる説があります。理論と呼べるほど学会では支持されていないようですが。
    簡単に言えば人類は類人猿の頃に一度、水中(と言っても浜辺だとか湖、川と言う程度)と陸上を行き来する生活に戻って進化したという理論です。
    直立歩行に移行するのも、頭部や脳が発達するのも、全身を覆う毛が退化したのも、水中での生活でしか成しえなかったという理論です。
    又出産の折、水中出産をすると嬰児は見事に泳ぎだすといのも事実らしいです。水中歩行の効能は良く知られるところですが、それでも負担が掛かる、免荷に敵対するという事であれば、ぷかぷかするだけでも良いし、力をかけたリハビリで無く、患者さん自身で自らの筋肉に力を入れるロングブレスの様な方法でしょうか?他には思い当たりませんが・・・
    やはり骨格を支えるのは筋力ですし・・・最低限維持する事も可能かと。
    私は毎度プールには行けませんので、銭湯でぷかぷかと長湯しています。
    ロングブレスや幸い痛むところがないので屈伸や開脚をしていますが、
    痩せた体に筋肉が付きだしています。もちろんライザップの様なムキムキではありませんが、しなやかな中学生のような筋肉です。
    初めてそれをやった時、翌々日に筋肉痛が走りました。
    風呂の温度の所為か水中で有るための水圧の所為か未だに不知です。
    プールで試したことがないので・・・
    いずれにせよ、水中でのぷかぷかはリラックスさせてくれます。
    以前は長湯すると湯あたりして眩暈を起こす事が多かったのですが、今ではそれも改善しました。水圧と温度に血流が慣れて来たのでしょう。サウナ、水風呂、ぷかぷかと何時間でも入っておれます。
    そして、元気にホテルの夜勤へと向かい、夕方17:30~翌朝10:00まで勤務します。そしてそのまま19時まで病院周りです。
    私ごとで恐縮ですが、私なりの方法で何とか未来を明るいものにしたいと試行錯誤の途上です。
    本名ではなんですので・・・少し改名します。
    先生からのご返信励みになっています、ありがとうございます。

    • 姿勢で体中の病気を治す、健康で過ごすということを研究されている方がおられます。操体術と言います。水中で重力を除去して負荷を軽減させるという方法も一つですが、操体術は徹底的に重心を考え、筋骨のバランスがもっともよくなるポイントを探し出して維持させることで全ての病気を改善させるという術です。

       とてもすばらしい術なのですが、バランスポイントを見つけ出して維持することは一般人にはとてもできない至難の技ですから、習えばすぐに誰にでもできるものではありません。

      一般に「いいことずくめの治療」ほど患者にとっては「実行難易度の高い治療」となり、「ギャンブル性の高い一か八かの治療」ほど、短期間で済み、お金も安く、努力もいらず、となります。多くの方は健康を自分の努力で維持しようとすることをたいへん面倒だと思い、実行しませんので、どうしてもリスクの高い、短期で決着がつく治療を選んでしまいます。今後の社会では、健康維持に面倒がらないことを子供のころから教育するシステムが必要と思います。そういうシステムつくりに尽力されれば、あなたの希望がかなうかもしれません。

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